「イギリス人ウォレス(47)」(2021年06月18日)

ムカ村住民の生活は、食料をサゴに頼っている他の島の住民と同様、赤貧と言い得る状態
にある。サゴ林のある場所へ行くと、たいていここの村人が住んでいる。かれらは野菜や
果樹を植えて育てようとせず、サゴと小魚だけを食べている。そして時おりナマコやべっ
甲を獲って売り、必要な衣服を買う。どの家庭もパプア人奴隷をひとりふたり持っていて、
生活に必要な労働はすべて奴隷を使い、かれら自身は怠惰な日常を送っている。時に、漁
労やいささかの商品を持って商いの旅に出るが、それがかれらの単調な生活の慰めにもな
っている。この島の住民はティドーレのスルタンの支配下にあるため、極楽鳥・べっ甲・
サゴなどを毎年の年貢に差し出さなければならない。それを手に入れるためにかれらはパ
プア島に渡り、セラムやブギスの商人から物品をクレジットで仕入れて原住民にふっかけ、
年貢と多少の利益が残るくらいの商売をして帰る。

そのような余剰物のない社会は、暮らしやすい場所でない。小さい菜園を作り、使用人が
頻繁に魚を獲って来る、ムカ村在住のセラム商人がいたおかげで、ウォレスの食はなんと
か確保された。鶏・果実・野菜はムカ村で滅多に買うことができない贅沢品である。ウォ
レスたちは食用になる鳥や、島にいるイノシシ以外の唯一の四つ足動物であるクスクスを
狩って食べざるを得なかった。


ウォレスはアウトリガー船を一隻雇い、ひとりのクルーだけをムカに残して借家と収集品
とプラフの番をさせ、残りのクルーと助手を全員連れてベシルに向かった。悪天候に妨げ
られて数日間出発が遅れ、ついにある朝ムカを離れることができた。やっとその日夕方、
島の岸辺の海上に作られたベシルの村に到着したのである。それはムカにやってくる時に
通過した狭い海峡の南側にある島だった。

一行は首長の家で夜を過ごし、翌朝、ウォレスが住むのに適した土地を探すために島に上
陸した。アウトリガー船は白い砂浜に引き上げた。ベシル村のひとびとは貝を主食にして
いるのが明らかで、家々と浜の間の浅い海は貝殻の山がいくつもできており、未来の考古
学者のための貝塚が作られつつあった。

上陸地点のすぐ上はヤムイモ畑とバナナ畑になっていて、そこに小さい番小屋がひとつ建
っている。首長はそこを使ってよいとウォレスに言ったが、こりゃ小人の家だとウォレス
は思った。地面から4.5フィート高の4本の柱で持ち上げた8フィート四方の屋内の高
さは、一番高いところで5フィートしかない。ウォレスは身長6フィート1インチだから、
もっと良い物件はないかと他を当たって見た。そして他の家屋が水場から遠く、汚く、し
かも大勢が中で暮らしているのを見たとき、かれの選択は確定した。

高床にせず、その床を外せばウォレスは立ったまま家屋の出入りができるが、そうすると
使えるスペースが半減する。ウォレスは高床の屋内をそのまま使うことにして、荷物を運
びこみ、居所と仕事場を整えた。こうしてその小人の家がウォレスのベシルにおける6週
間の快適な拠点になったのである。

高床の下ももちろん荷物を整頓し、椅子やテーブルを置き、風を防ぐすだれを付け、夜は
そこでクルーと助手がマットを敷いて眠った。ウォレスは高床の屋内で、何度も頭を天井
にぶつけながら、自分のプライバシー空間を得ることができた。


ウォレスはベシルの村人の中で極楽鳥の捕獲をよくする者を呼び集めてビジネスを開始し
た。手斧・ビーズ・ナイフ・ハンカチなどの対価を示し、死んだばかりの極楽鳥をもって
くればそれらと交換することを告げた。一羽につき、何がどれだけというのが価格交渉に
なる。この種の交渉は前払いが国際常識だから、ひとりが二羽分を取った。もちろん、本
人もそれが二羽分であることを承知している。他の村人はこの地をはじめて訪れた白人が
示す奇妙な誘いに戸惑ったか、様子見を決め込んだ。ウォレスのビジネスに乗ったのはそ
のひとりだけだった。ウォレスの助手たちも森に入って極楽鳥を撃ち、持ち帰って来る。
ウォレスは助手たちの猟果に大いに満足した。[ 続く ]