「イ_ア語は非純正言語(後)」(2021年06月21日) インドネシア語が最初から完璧な言語体系で、ましてや単一の言語学的統御ルールを持っ て出現したものでないのは、実際にその通りなのである。この言語を通して、現実の社会 状況から世界を抽象化し、技術的にそれをあたかも空中楼閣のように見せる可能性が開か れた。そのようにしてこの種の言語は、相互に調和しないありとあらゆるものをつなぎ合 わせ、言語使用における怠惰と恐怖を乗り越える効用を持つことができたのだ。それはち ょうど石ころのようなものであり、必要に応じてあっちにはさみ、こっちから抜くような ことが自在に行えるものだったのである。 インドネシア語が頭脳アクロバットもどきになったのが、その論理的帰結だ。言い換える なら、複数の味を持っているmengeltaal、mischprache、gado-gado、bahasa campuran、 bahasa oblok-oblok、bahasa campur adukと呼べるものだ。そのあり方がインドネシア語 をして、機械・道具やパサルで売買される商品になることを免れさせた。新聞雑誌に国民 主義運動について書き綴ったインドネシアのラディカル国民主義者層の言語スタイルの中 にそれを探ることができる。かれらが書いたのは、描いたものも含めて、緑の色濃い大自 然に覆われた熱帯の地インドネシアについてのものでなかったのである。 もう一度マス・マルコを登場させるなら、かれは母語の中で磨かれ上品になったものをい とも簡単に傷付け、破壊し、粉砕したのである。Weltvaartscomissi(福祉コミッション) がWCと短縮されたとき、それは植民地高官の目に反逆的と映った。boemipoetraはbpと 短縮されて諧謔的風刺的色合いを持たされ、オランダと原住民間の穏健で幸福な調和を示 すティレマのKromoblandaはkromolangit、kromorembulan、kromobintangに書き換えられ た。 まるで別世界から来たような表現と元の語義をごちゃ混ぜにした言葉は不誠実なのだろう か。著名なジャワ人学者プルバチャロコ博士Dr Poerbatjarakaはかつて学生のひとりにこ う語った。言語(オランダ)の美しさは人(ジャワ)を傷付けない能力にある。 しかし1923年5月10日に史上最大のストを行ったスマランの鉄道従業員にとって、 鉄道衝突spoor tabrakanというスローガンは、たとえそれが12日間で潰えたにしても、 オランダ植民地主義への反抗を呼び覚まし、行動に移させることを可能にした戦鼓の雄叫 びだった。 言葉はもちろん、互いに知り合いでないひとびとの民族意識を統一させる潜在性を持って いる。問題はただ、その種の言語は崇拝されるべき真理と見なされない場合に、歴史の中 に出現し得るものなのだ。そうだからこそ、インドネシア語は民族主義を成育させること ができたのである。インドネシア語は公的組織や団体の空間の中に生まれたものでなく、 アスファルト舗装された硬いコロニアル道路の上で拾われたものだったのだから。[ 完 ]