「イギリス人ウォレス(49)」(2021年06月22日)

ウォレスのプラフがムカを去ったのは9月29日だった。ワイゲオ島の海域を脱して大海
に出るまでに四日かかった。通常のこの季節に吹く風向きに反して、風は南南西から吹い
てくる。南南東の風を期待していたというのに、風と潮流がウォレスのプラフの進行を妨
げる。

遅々として西航がはかどらないため、飲み水の不安が出て来た。ふたりのクルーが置き去
りになったあの島で水を補給しようと考えたが、その方角に向かわせることさえできない。
しかたなく、ベシル島の真西にあるガグGag島を目指した。ウォレスはガグ島をGagieと書
いている。

ガレラ人の舟がガグ島で水が得られることを教えてくれたので、ウォレスのプラフが湾内
に入ろうとしたが、逆風で入れない。ウォレスはハンカチを報酬にしてガレラ人の舟に乗
せてもらい、上陸してたっぷり水を汲んで来た。ガレラ人はガグ島の北岸にキャンプして
いるので、ウォレスのプラフもそこへ向かい、食料を買おうとした。しかし手に入ったの
は黒い石炭のような亀の燻製肉だけだった。そのキャンプの先にはゲべ島住民が所有する
農園があり、オーナーはパプア人奴隷にその世話をさせている。ウォレスは翌朝、野菜や
バナナを買ってハンカチとナイフで支払った。


10月4日、ウォレスはそこを出発しようとしたが、錨が深い海底に引っかかり、結局引
き上げるのを断念して切り離した。風は相変わらず南南西で、ハルマヘラ島南端に接近す
るのは困難であるように思われた。苦労してハルマヘラ島に接近し、海岸に上陸しようと
したが、強い海流に押し戻されて海上を行ったり来たりという状況に陥った。

7日の夜にサンゴ礁の端にたどり着き、錨を下ろして夜を過ごし、翌朝上陸した。鹿やイ
ノシシを狩っているガレラ人がいたが、かれらはムラユ語を話そうとしなかったために役
立つ情報は得られなかった。ふたたび海岸と沖の間で行ったり来たりが始まる。通りかか
ったボートから、もっと先に港があってそこにガレラ人が大勢いるから、舟漕ぎ仕事に雇
えるだろうという情報が得られた。

10月10日午後、やっとのことで港の入口までやってきた。「ああ、良かった」と船上
の一同が喜び合ったのもつかの間、またまた風が真っ向から吹いてきた。そしてスコール
に襲われて、プラフはまた沖へ流された。実に容易に流されてしまったのは、スペアの錨
がスコールで荒れた波のおかげで切れてしまったからだ。プラフは錨を持たない、まるで
水上に漂う枯葉のようになってしまった。逆風と逆流を乗り切るためには櫂漕ぎしか手段
がなくなってしまったわけだが、プラフ上のクルーと助手たちの櫂漕ぎの力は既にこの帰
途航海の初期から証明されていた。何しろウォレスのプラフは重く、三人のクルーでは、
たとえ年寄りの水先案内人を加えたとしても自然の猛威とバランスが取れそうもなかった
にちがいない。

穏やかな入江を見つけてそこに駆け込んだ一行は、急場をしのぐために、プラフのバラス
ト用の石を籐で編んだ袋に詰めて急ごしらえの錨を作った。この錨は、次に上陸してクル
ーが重い木と石でムラユ式錨を二個作るまで、プラフの航行を助けた。


11日、ウォレス一行はついにハルマヘラ島南半島部のガネルアルGaneluarに上陸した。
その地の首長は西岸部のガネディダルムGanedidalemに住んでいるので、ウォレスが助力
を求めていることを伝えるためにガネルアルから村人が使いのために出発した。半島を
横断するのは半日かかる。ウォレスはサゴ・鹿の干し肉・ココナツを買って飢えと渇き
をいやすことができた。ウォレスの著作ではガネルアルはGani-diluar、ガネディダルム
はGaniと書かれている。[ 続く ]