「インドネシアの語源(1)」(2021年06月23日)

インドネシアという語はインドネシア人が作り出したものではない。日本語インターネッ
トの世界では、インドネシアの語源をギリシャ語として説明しているだけで、その語の史
的経緯が全く触れられていないために、どうしてインドネシア人が国名にギリシャ語を使
ったのかという疑問を抱くひとが後を絶たない。日本人にこのような常識を持たせるのは
迂闊ではないだろうか。

1928年10月28日の青年の誓いと呼ばれている、オランダ領東インドの原住民はイ
ンドネシアという国家、民族、言語を持つ独立国になるのだという目標を誓い合った民族
史に輝くできごとが、1945年8月17日に誕生したインドネシアという単語を正式国
名とする国家に結実した、というのが歴史の流れではあっても、どうして1928年に青
年層がギリシャ語由来のインドネシアという語を理想の位置に据えたのかということは、
その話から見えてこない。


インドネシア文化にほとんど縁のないギリシャ語を使ってインドネシア人が造語するとい
う行為は、インドネシア文化を知っているひとには想像を絶する話だろうという気がする。
現に、それを行ったのはヨーロッパ人だったのである。インドネシアという言葉は最初、
地誌学の分野における学術用語として登場した。

昔ヨーロッパ人が東インドと呼んでいた地域を近代的学術の世界で地名として使うのは学
問上の正確性に欠ける印象を生むことは想像がつく。オランダ領東インドと呼べば、地域
は特定されるものの、もろに国際政治的呼称を使って地誌学を述べるのは、学者たちにと
ってあまり心地よいものでなかったに違いあるまい。もっと知性を根底に据えた名称が使
われるべきだろう。

マレー島嶼部という言葉が現在のインドネシア領土を指して使われることも起こったが、
語源をムラユにするマレーという語の解釈が今一つ民族学的正確さに欠ける。多分そのよ
うな背景が学術用語の確立への提唱を誘ったのではないかと思われる。

但し、ここでわたしが使っている学者という言葉は象牙の塔にこもって研究に明け暮れて
いる人間を指しておらず、人間社会の中での諸活動にいそしみながらも、知的世界を拡張
深化させることを志しとして持ったひとびとの意味で使っている。


航海士としてイギリス⇔マレー⇔オーストラリア航路に従事したジョージ・サムエル・ウ
インザー・アールは1850年に発表した学術論文 On the Leading Characteristics of 
the Papuan, Australian and Malay-Polynesian Nations の中で、マレー島嶼部の術語と
してIndunesiaもしくはMalayunesiaという新語を提案した。

マレー半島のイギリス海峡植民地北端のペナンで弁護士業を営んでいたスコットランド人
のジェームズ・リチャードソン・ローガンはペナンガゼット編集者でもあり、かれも18
50年にJournal of Indian Archipelago and Eastern Asia の記事にIndonesiaという新
語を使った。

一方、ベルリン大学人類学教授であるドイツ人アドルフ・バスティアンが1864年から
1880年までヌサンタラを巡歴して調査研究を行い、1884年に Indonesien: Oder 
Die Inseln Des Malayischen Archipel と題する全5巻の大著を世に送った。オランダ人
知識層はそのアドルフ・バスティアンの著作から影響を受けたそうだ。[ 続く ]