「イギリス人ウォレス(50)」(2021年06月23日)

12日午後、ガニの首長がやってきて、ウォレスのプラフに乗れるだけの櫂漕ぎ人を用意
することを約束し、また卵とコメをウォレスにプレゼントした。16日夜明けと共に、1
0人の漕ぎ手を加えたプラフはガネルアルを離れた。その日夕方、半島南端とのほぼ中間
まで来て、夜は休んだ。南端を回ると、進行方向が完全に逆転する。櫂漕ぎを続けて、プ
ラフは18日夕方ガニに到着。ガニの首長と在住ブギス商人の歓迎を受けて、一行はしば
しの休息を取った。

テルナーテへの航海に、天候が予断を許さないため、ウォレスは漕ぎ手を更に4人増やし
て20日午後、ガニを出発した。22日正午前、バチャン島とハルマヘラ島間の海峡にあ
る狭まった航路を抜けようとしたが、海流が速くて渦を巻き、容易に通過することができ
ない。風向きは転々と変化し、時に死に絶えることもある。難所を切り抜けて25日には
沖合に出、深夜にカヨア島南端に達した。カヨア島で数日休息し、その間昆虫採集をしよ
うとウォレスは考えたが、雨季に入ったためだろうか、昔の時ほど昆虫はいなかった。

ウォレス一行が付いた翌日にテルナーテに向けて出発したボートが、悪天候のために戻っ
て来た。10月31日、天候が良くなったように思われたので、ウォレスはプラフを泊め
てある河口に移動し、11月1日朝、バチャンを出港した。だが風向きはどこへ行こうが
逆風が続く。海流は時に前進を妨げて押し戻したり、時には進行方向に流れて航行を誘導
してくれるが、ワイゲオを出て以来の風向きの異常さはクルーに大問題という印象を植え
付けた。

今は南東の風が吹く季節であるにもかかわらず、南東の風が半日以上吹いた日は一日もな
く、ほとんどが逆風になってこのプラフを苦しめている。これは不吉がこの船にまとわり
付いているためだから、それを祓う儀式をしてはどうかとクルーはウォレスに勧めた。そ
れは船底に穴を掘り、そこに聖油を注ぎ込むのだそうだ。


11月2日の夜明け、プラフはカヨア島とマキアン島の間にいた。午前中は雨が続き、午
後は風が凪いだ。その後、弱い西風が起こったので、マキアン島に上陸して夜を過ごした。
3日、南風が来たので喜んだものの長続きせず、すさまじいハリケーンに急変した。それ
はワイゲオからの航海で出会った最大の猛威だった。水先案内人は「アッラー、イラッラ
ー!」と大声で叫び、神の救いを求めた。

ハリケーンが過ぎ去ったあと、さっきの嵐はこれまでに体験したことのないすさまじいも
のであり、このプラフが不吉にしがみつかれているのは疑いないから、ブギスのプラフが
みんなしているように、このプラフに付いている不吉を祓う儀式を行うべきだと水先案内
人もウォレスに主張した。あんなハリケーンだったのに大過なく通過できたのは、自分が
主アッラーTuwan Allahに助けを求めたからだ、とかれは語った。そのあと、二日かかっ
てやっとテルナーテに到着した。凪・スコール・逆風そして到着直前には最後の最後に突
風を受けて吹き戻された。

最終的にテルナーテの家に戻って来ることはできたものの、ウォレスが判定したゴロム島
から処女航海に出た後の全行程の総括は、ローカルのプラフでこのような航海はするべき
ものでないという結論だった。ゴロム⇒セラム⇒ワイゲオ⇒テルナーテという5カ月と一
週間の旅の中で、実にさまざまな事件が起こった。最初に雇ったゴロム人クルーが全員逃
亡し、ワハイで雇ったクルーふたりが名もない島に置き去りになって一カ月漂流者暮らし
をしたこと。サンゴ礁に10回も乗り上げ、4回錨が失われ、ガニで買ったボートが嵐で
粉々になり海の藻屑と消えたこと。12日で十分踏破できるワイゲオ⇒テルナーテの航海
に38日が費やされ、海上で何度も渇きと空腹に悩まされ、終日順風に恵まれた日は一日
もなかったこと等々。ウォレスが自前の船で行ったはじめての航海は、どんな船乗りに言
わせても運の悪い旅だったことは間違いあるまい。[ 続く ]