「地上の異界、スラウェシ島(3)」(2021年07月14日)

ロバート・ホールが2009年に発表したSoutheast Asia's Changing Palaeogeography
と題する論文はスラウェシ島の形成プロセスに触れている。6千万年前の始新世のころ、
カリマンタン・ジャワ・スマトラはほぼ現在の位置にあったが、スラウェシ島はまだ存在
せず、その部分部分があちこちに散らばっていた。現在のスラウェシ島西側部分は8千万
年前の白亜紀末にユーラシアプレートから分離してプレートの端に位置していた。オース
トラリア大陸の南極からの分離もそのころに始まった。

4千5百万年前ごろからオーストラリア大陸がいくつかのプレートを押しながら北に向か
って移動し始めた。そのひとつが後にスラウェシ島東南半島部になっていく。2千5百万
年前の中新世でもオーストラリアプレートは年間10センチの速度で北への移動を続け、
スラウェシ島西側部分に火山が出現し、火山の列は北に向かって発達した。

今から1千9百〜1千3百万年前の時代、バンガイ=スラプレートの破片が海底から東半
島部を引き上げながら西側部分につながった。その衝突がスラウェシ島北側でプレートの
沈み込みを引き起こし、現在のスラウェシ中部地域の地殻を上昇させて地層褶曲を招いた。
スラウェシ島西側部分にできた火山はなくなって、北半島部からフィリピンにかけての火
山帯に移って行った。一方、スマトラ〜ジャワ〜バリにあった火山帯もヌサトゥンガラ方
面に向かって伸びて行った。


スラウェシ島の歴史の中に納められたすさまじい地殻の動きは、島内のあちらこちらにそ
の名残を見せている。東南半島部の付け根にある海抜1千数百メートルの高地、南スラウ
ェシ州東ルウ県ソロワコSorowakoに見られるウルトラマフィックの露出層がそのひとつだ。
マタノ湖南西岸の丘陵地帯を黒緑色の岩石層が埋め尽くしている。

ウルトラマフィックは広大な地域に渡ってオフィオライトの層を作り出し、スラウェシ島
を世界のニッケル大産地のひとつにした。東スラウェシオフィオライトはポソからソロワ
コを経由して東南半島部に広がっている。

プレートの衝突で海底が持ち上げられ、海上に露出したことで海底の土壌に変化が起こり、
ニッケル・コバルト・マンガン・鉄鉱石・クロマイトなどたくさんの鉱物が生み出された。
深海でできるウルトラマフィックと浅海で作られる石灰岩が混じり合って東スラウェシオ
フィオライトを形成していることが、いかにすさまじいプレートの衝突が起こったかを明
白に物語っている、と専門家は述べている。


マロスMaros〜パンケップPangkep〜トラジャTorajaに伸びているカルスト地形も激しい地
殻運動の歴史を物語っている。その一帯に見られる石灰岩はかつてそこがスンダ大陸棚に
つながっていたことを示している。その石灰岩地層は5千6百万年から1千8百万年前の
始新世から中新世初期に形成されたものであり、その時期にオーストラリアプレートが動
いて南東の方角からスンダ大陸棚へのプレート衝突が始まった。その動きがマカッサル海
峡に陥没を引き起こしたし、石灰岩層に亀裂が起こって断層が諸方向に走った。マロスや
パンケップに見られる、岩柱や洞窟に満ちたカルスト地形はこうして形成された。

マロス〜パンケップカルスト地帯の調査によって、タンジュンビラTanjung Birahとレア
ンレアンLeang Leangに古代ビーチの跡が発見されている。およそ3万年前に東南アジア
海域では、現在の海面から65メートルも高い位置が海面になっていた。

またカルストの洞窟が古代人の棲息場所になっていたことを示す遺跡や遺物も発見されて
いる。貝塚があり、見つかった貝は9千から3万年前の時期のものであることが調査済み
だ。また石器に加えて、岩に手形をステンシルして色を塗ったものやバビルサの線画など
が洞窟の中で発見されている。このカルストで発見されたのは中石器時代から新石器時代
にかけての遺跡や遺物である。

中石器時代にそれらの洞窟は古代人が立ち寄る場所だったが、新石器時代にはそこで長期
間の生活が営まれるようになった。マロス県の古代洞窟遺跡は16カ所、パンケップ県は
17カ所が保存されている。[ 続く ]