「なまこ(後)」(2021年07月22日)

それらの需要を満たそうとして、ヌサンタラの各地でも乾燥ナマコ生産に熱が入った。こ
うして18世紀半ばごろには、スラウェシ島のマカッサルが他を抜きんでて、ヌサンタラ
最大のナマコマーケットにのし上がったのである。中国船とヨーロッパ船とを問わず、ど
この商船でもマカッサルにやってきて、そこのマーケットでトレードを行うことをマカッ
サルの支配者と商人たちは望み、そのためにマカッサル船は近隣諸島一帯からオーストラ
リアのカーペンタリア湾にまでナマコ仕入れのネットワークを構築して走り回った。

マカッサル船団がオーストラリアまでナマコの獲得に走った物語は、弊著「マカッサル船
団はマレゲを目指す」をご覧ください。
「マカッサル船団はマレゲを目指す(1)」 http://indojoho.ciao.jp/2017/0425_1.htm
「マカッサル船団はマレゲを目指す(2)」 http://indojoho.ciao.jp/2017/0426_1.htm
「マカッサル船団はマレゲを目指す(3)」 http://indojoho.ciao.jp/2017/0427_1.htm
「マカッサル船団はマレゲを目指す(4)」 http://indojoho.ciao.jp/2017/0428_1.htm
「マカッサル船団はマレゲを目指す(5)」 http://indojoho.ciao.jp/2017/0505_1.htm
「マカッサル船団はマレゲを目指す(6)」 http://indojoho.ciao.jp/2017/0506_1.htm
「マカッサル船団はマレゲを目指す(7)」 http://indojoho.ciao.jp/2017/0510_1.htm
「マカッサル船団はマレゲを目指す(8)」 http://indojoho.ciao.jp/2017/0511_1.htm
「マカッサル船団はマレゲを目指す(終)」 http://indojoho.ciao.jp/2017/0512_1.htm


バンダ海東部のケイ島から中国へのナマコ輸出は36トンに上ったという、1850年の
記録がある。その量はナマコの個数で60万から120万個と推定される。ケイ島から中
国への輸出という表現になっているが、実態は中国船やヨーロッパ船がやってきてケイ島
で現地人からナマコを買い上げる形を取っていたということだろう。そのころ、マカッサ
ルでのナマコ輸出は年間490〜550トンに達していた。オランダ植民地時代が終わる
ころは640トンくらいになっていたが、最高記録は19世紀末の年間2,928トンだ
ったそうだ。

2016年ごろ、インドネシアのナマコの輸出量が急増した。減っていると言われている
54種のトゥリパンを考えれば、輸出量の増加は何かがおかしい。インドネシア科学院が
調べたところ、従来54種のトゥリパンに含まれていなかった種類のものが輸出されるよ
うになっていたことが判明した。インドネシアのトゥリパンデータは60種に修正されな
ければならないようだ。

インドネシアのナマコも決して無尽蔵なわけではない。昨今、東部インドネシアの島々の
住民たちは、ナマコの姿が見えなくなったと言う。昔は浅海一面まるでカーペットを敷い
たようにナマコだらけだったものが、いまやまるで宴の後のようなあり様になっている。

北スラウェシ州の海でもそうだ。15年くらい前から、ナマコの姿が海から消えた。北ス
ラウェシの漁民はHoluthuria scabraの需要が高いので、地元でteripang susuと呼ばれて
いるその種のナマコを血まなこで探す。だが、もうほとんど見つからない、とさじを投げ
ているありさまだ。

東ヌサトゥンガラでは、輸出市場向けに需要が大きい大型ナマコを大量に採取する漁民と、
ナマコなら何でもかき集める漁民がいて、その両者が海のナマコを枯渇させている。ナマ
コなら何でも派は、それを地元市場でラワルlawarと呼ばれる食品にする。ラワルとはナ
マコの生食だ。


海の掃除人のひとりであるナマコの減少は海洋汚染を悪化させる可能性をはらんでいる。
ナマコの枯渇は単なる生態系の歪みよりもっと大きい影響をもたらすかもしれない。東南
アジア諸国はいま、その課題に直面しているに違いあるまい。[ 完 ]