「北スマトラの食(5)」(2021年07月27日)

スイス人ハインリッヒ・ズーベックHeinrich Surbeckは1916年にシアンタルホテルを
オープンした。同じ年にかれはシアンタル製氷工場を作り、氷の販売に乗り出したのに加
えて、その工場でBadakブランドを付けた炭酸飲料を生産した。今ではcap Badakが北スマ
トラ州民の郷土飲料になっている。

北スマトラの片田舎にあるホテルが客の注文を受けてレイスタフルを用意してくれるのは、
かつて北スマトラに関わったヨーロッパ人とその子孫たちが懐かしのセンチメンタルジャ
ーニーを行うとき、客の要望を受けてこのメニューを饗応するのが常だったからだ。

ホテルレストランのメニューからレイスタフルの名前は消えていても、厨房はそれを作る
のに慣れているというのが実態なのである。いまだにヨーロッパからツアーが来る時、ツ
アー日程の中にシアンタルホテルでのレイスタフルが組み込まれている。


記者はシアンタルホテルでレイスタフルが食べられるという話を耳にして、取材に訪れた。
メニューに書かれていないので、ウエイターに尋ねたところ、「ご注文に応じて作ります。」
という返事を得た。当然、記者はそれを注文した。

まずはアピタイザーにキノコのクリームスープ。次いでメインコースに入ると、クルプッ
ウダン・チャトゲ(モヤシ炒め)・クリピックンタントゥリ(ちりめん魚をまぶしたフラ
イドポテト)・オイスターソース海鮮・ナンカの実入りロデ・サテサピ・アヤムゴレン・
塩漬け卵とムンドアン・ピサンゴレンの9種類が出て、キュウリとパイナップルのアチャ
ルが付く。デザートはフルーツカクテルと茶またはコーヒー。記者は仲間とふたりでそれ
に当たったが、食べきれなかった。食べ物の量は5人分だそうだ。価格はたったの8万5
千ルピアだった。信じられないほどの廉さだ。

シアンタルホテルでレイスタフルを注文する場合、45分前に注文してからレストランに
行くと、出来上がったばかりの料理がすぐに運ばれてくる。記者のようにレストランのテ
ーブルに着いてから注文すると、45分待たなければならない。

アピタイザーを食べ終わると、テーブルに9種類の料理が並べられ、給仕係が皿に白飯を
盛ってくれる。給仕係はテーブルからあまり遠くない場所にいて、客の皿の白飯がなくな
ると、近寄って来て飯を皿に盛ってくれる。

メインコースにムンドアンがあり、またサテの味付けが甘かったことから、記者はジャワ
風味付けという印象を持った。だが、ロデはジャワ風の味でなく、スパイスがたっぷりと
使われた塩味のカリ風味になっていた。

中でも記者が不思議に思ったのは、ピサンゴレンがデザートでなくメインコースの中に混
じっていたことだ。その疑問に給仕係が答えた。オランダ時代から、このホテルではそう
していたのだと。どうやら昔のオランダ人にとって、ピサンゴレンはおやつでなかったと
いうことらしい。

パパヤ・バナナ・スイカ・パイナップルのフルーツカクテルのデザートが終わると、給仕
係が紅茶かコーヒーかと尋ねる。そのどちらを頼んでも、少量の練乳が添えられる。どう
やら北スマトラでは、紅茶もコーヒーも甘いミルクを入れる飲み方が社会的なようだ。

レイスタフルがいかにオランダ植民地主義のシンボルと見られようが、その中身がインド
ネシア料理で満たされていることをインドネシア文化のひとつと捉えることも可能である
に違いあるまい。それはカリフォルニアロールを日本文化の魂の発露である寿司と認める
か否かという個々人の姿勢の問題に酷似しているようにわたしには思われる。

自民族の文化になかった要素を異民族が付加させたとき、それに対してインクルーシブな
姿勢を取るか、エクスクルーシブな姿勢を取るか、ということがこの問題の本質であるよ
うに見える。文化というものの中にまで、いったいいつまで民族主義を振り回し続けよう
というのだろうか?[ 続く ]