「バッタ(2)」(2021年07月27日)

ジャワ人の昆虫食の中には、シロアリもある。シロアリのインドネシア語はlaron, rayap, 
anai-anai, kelekatu, kiyek, rangasなどがシソーラスに記されているのだが、kiyekだ
けはKBBIに見当たらない。われわれがインドネシアの日常生活でよく出会う言葉は
laronとrayapで、rayapは木の中に入って木を食っているシロアリの幼虫を指し、laronは
それが羽化して夜の明かりの周囲を飛び回っている状態のものを指して使われる。ジャワ
人が食べるのはラロンである。

ラロンの食べ方は、ルンペイイェrempeyekやペペスpepesにしておやつとして食べる様式
が強まっているそうだ。飯のおかずにするスタイルは減っているのだろう。ルンペイイェ
は米の粉を練って板状にし、砕いたピーナツを混ぜてフライにした食べ物であり、そのピ
ーナツがラロンと交代したものと思えばよい。

パプア人はサゴの樹に住む芋虫を食べるし、北スマトラのサモシル島ではトンボを美食と
して食べていた。ウォレスもロンボッ島で子供たちがトンボ採りをしている姿を目にして
いる。トリモチで捕らえたトンボは翅をむしって袋に入れられていたそうだから、何のた
めのトンボ採りかは言うまでもあるまい。


それらの昆虫は豊富なタンパク質を含んでいるため、人間の生存に有効利用できる潜在性
を持っている。人間が現在タンパク源にしている飼育動物と昆虫を比較して、同量の食材
を得るために発生される温室効果ガスの量が両者の間で大幅に違っており、総入れ替えす
れば地球温暖化の進展を顕著に低下させることができると主張する学者もいる。

しかしながら、昆虫を食うという話になると、たいていの人間はそのおぞましさが先に立
ち、吐き気を催して、自分がそんなことをするという想像だけでめまいを起こし嘔吐する。

そこにわれわれは、文明が築いた価値観によって人間の感情が深くコントロールされてい
る姿を見出すのである。古い昔、北スマトラの住民はバッタ・トンボ・コオロギなどを食
べていた。ところが、昆虫はプリミティブで野蛮な食べ物であり、それを食べるのは貧困
を象徴する行為であるという価値観を教えられた結果、かれらは昆虫食を捨て去った。文
明化が優れた人間の姿であるという一面的な価値観に踊らされた結果がそれだ。

かれらの子供たちは、食卓に昆虫の料理が出て来ることを体験しなくなった。生活の中か
ら消え去ってしまえば、昆虫は食える物という原体験も消滅し、昆虫食は意識のかなたに
蒸発してしまう。


世界を支配する優勢な文明はその中に構築された価値体系を異文明に強制して異文明を服
属的な位置におとしめるのである。そのようにして、優勢な文明が主食にしている食品に
モダンで文明的な食材という位置付けを与えて服属文明に使わせる。優勢な文明が服属文
明に担がれる形式は、優勢な文明の維持継続と進展に強力な後押しを用意することに他な
らない。それを文明構成員に自主推進させるために、野蛮な異文明人を先進文明化させる
人類の高貴な務めというヒューマニズム観念すら用意されてきた。

昆虫の体重の6割がタンパク質だそうだ。現在地球を支配している文明の価値体系が持っ
ている観念によって異常に増えすぎてしまった人口を抱える万物の霊長が直面している食
糧危機問題の対策のひとつが昆虫食であることは、学者層の観念論では当たり前すぎるほ
どのロジックだろうが、その同じ文明を構築している価値体系が否定して来た昆虫食を、
その価値体系が人類の感情面に植え付けたおぞましさの感覚をどう処理すればよいのか、
その辺りに困難さの核が横たわっているようだ。[ 続く ]