「スマトラのムラユ食品(1)」(2021年07月29日)

ムラユ料理とひと言で言っても、一筋縄でいくものではない。ムラユ文化はスマトラ南部
からマラヤ半島のタイ南部を含む全域、そしてカリマンタン島西部からブルネイを含む北
海岸部という、気の遠くなりそうな地域にまで広がっているのであり、地域バリエーショ
ンが多岐にわたっているから、おのずと百科事典の趣を呈することになるだろう。

概して言える特徴は、スパイスを多用することと、サンタンsantanと呼ばれるココナツミ
ルクを好んで使う点に見ることができよう。中でも、サンタンを使って炊いた飯はムラユ
料理の代表選手と言えるかもしれない。ナシダガンnasi dagang、ナシルマッnasi lemak
などという名称はそのサンタン飯を指している。ジャワでは専らナシウドゥッnasi uduk
の名前が一般的だが、物自体にほとんど変わりはない。それもそのはずで、ムラユ語の
lemakに対応するジャワ語がudukなのだから。

ムラユのカリもサンタンだらけだし、あのコテコテのマレーシアラクサに魅せられたグル
メもきっといらっしゃるに違いあるまい。


続いて特徴的なのは、魚料理の多さだろうか。海産はもとより、淡水魚も重要なおかずに
なっている。その中のひとつがパティンpatin魚だ。パティンは東南アジアのたいていの
川に棲む大型淡水魚のひとつで、各地で名前が違っていて、英語ではpangasius、日本語
はバサと言う。

パティン料理で高い人気を持つレストランがリアウ州プカンバルPekanbaru市内にある。
その名もPondok Patin。ここは市内シンパンティガのカハルディン・ナスティオン通りに
位置している名うてのお食事処であり、この店の看板料理がパティン魚の頭のスパイス煮
込みだ。

ムラユではその昔、パティン魚の頭はスルタン王宮で王族貴族たちが食べる高級料理だっ
たそうだ。リアウRiauのスルタン、あるいはカンパルKamparやシアッSiak、インドラギリ
IndragiriやロカンRokanのスルタンたちがそれぞれの王宮で、料理人に調理させたパティ
ンの頭を食べていたのである。それら諸王国の名は、王宮が河岸に建っている河の名前で
もあり、同時にそれらの河はパティン魚の産地にもなっている。


「漁師の網にパティンがかかったら、それを市場で売ってはならず、世間にふるまうのが
伝統的なしきたりになっていた。そうしないと魚がいなくなると信じられていたからだ。」
リアウ州カンパルのアイルティリスAir Tirisを故郷にするポンドッパティン店主、ハジ
・ムハンマッ・ユヌスはそう語った。今でもパティンは祭事や祝宴、あるいは客人の接待
などの特別料理として扱われている。客を歓迎する会食でパティンの頭が自分の前に置か
れたら、自分は特別な尊敬を与えられたと思わなければならない。ホスト側はそのつもり
で頭をその人に供したのだから。

市場でも、パティンの頭は高値が付いている。頭だけで、頭を落とした胴2匹分に相当す
るのだ。どうして頭が高価なのか。それは食べて見れば分かる。旨味が全然違うのである。
胴の肉はきめが粗いのに比べて頭の肉はたいへんきめ細かく、柔らかくてコシがある。だ
から頭の肉を歯で噛むには及ばない。舌と上口蓋でこすれば溶けるように喉に落ちて行く。
王侯貴族がいかにそれを愉しんていたかは、想像に余りあるだろう。


コンパス紙記者はポンドッパティンのメニューに書かれたkepala ikan patin asam pedas
を賞味した。酸味も辣味も適度のレベルにあり、口の中を強く刺激して食材の旨味を鈍ら
せるようなものではなかった。ライムjeruk nipis・赤トウガラシ・ショウガ・ナンキョ
ウlengkuas・ニンニク・赤バワン・ククイkemiri・ウコンkunyit・ウコン葉・レモングラ
スserai・リマウlimauの諸スパイスが調合された煮汁はウコン特有の黄色が勝ったものだ
った。またサンタンも使われておらず、客はコレステロールを気にする必要もない。

付け野菜lalapanは別皿にほうれん草bayam・もやしtaoge・バジルkemangi・サラダ菜・キ
ュウリ・スズメナスビtekokak・青唐辛子サンバルが付いた。[ 続く ]