「バッタ(4)」(2021年07月29日)

2020年7月、東ヌサトゥンガラ州東スンバ県ワイ~ガプWaingapuに招かざる客がまた
やってきた。やってくるのはいつも突然で、轟轟たる音を天まで響かせながらやってくる。

ワイ~ガプ郡プライリウ町の畑がブラランクンバラに襲われたのである。青空を曇らせる
ほどの大量のブラランが羽音もすさまじく地上に育てられている青物めがけて襲い掛かっ
て来た。農民は自分の畑の脇でたきびをし、作物を守ろうとする。「午前中は平穏だった
のに、こうやっていきなりやって来るんだ。」と農民は言う。

県農業局はその日の午前中、他の町のトウモロコシ畑1Haと稲田1.5Haが食いつくされ
た報告を既に受けていた。手をこまねいていれば、作物は9割がた食われて破壊され、収
穫は望めなくなる。

ひとびとは3年前の蝗害の悪夢をまた思い出していた。あのときも、ヤシ・マンゴ・タマ
リンド・トウモロコシ・稲・野菜とあらゆる植物に被害が出たのだ。2016年2017
年と二年続きの蝗害は農民を悲惨な状況に追いやった。


もっと古い2004年8月のコンパス紙記事によれば、そのときもワイ~ガプでブララン
クンバラが暴れまくっている。2004年から16年までの間に蝗害がなかったはずはな
いと思われるのだが、記事が見つからないために何とも言えない。

2004年7月5日にマウリル町の農業用地が百万匹を超えるブラランに襲われた。緑広
がる何ヘクタールもの農地がほんの数分で丸裸同然にされたのである。隣のカワ~グ町の
ほうが被害はひどかった。ブラランの大集団が三日も居座ったのだから。

記者が8月第一週にワイ~ガプ郡マウリル町を訪れたとき、2枚ほどの田が黄色く稔って
採り入れ間近の様子を見せているが、他の田は田植え間もないものから数週間くらいが経
過したものまでさまざまな段階にあり、しかもその中に何も植えられていない状態の土地
も目についた。

この地方では、6月はじめごろから田植えが開始される。第三週〜第四週に行われる田も
ある。そして7月5日に災厄の日がマウリル町を訪れたのだった。そのとき、ブラランの
群れはこの町の農地に長居することなく、ほんのしばらく地上に降り、食い荒らし、そし
てまた飛び立って行った。徹底的な壊滅は免れたのだ。

そのときに被害を免れた田がいま収穫間近い状態になっている。農民によってはまた稲を
植え直した者もあり、あるいは気落ちして植える気を失った者もある。それが記者たちの
目にしたこの町の水田の状況だったのである。

農民は記者に、連続して6回も作付期にブラランに襲われていると物語った。水田の作付
けは年二回だから、2001年以来、毎年蝗害がマウリル町の水田や畑地を襲っているこ
とになる。何もなければ1〜2.5トンの米を収穫できるのに、蝗害のせいでせいぜい2
百キロ前後しか米が得られない。

しかし、どんな大災害でも台風一過。ブラランクンバラの大群がまた戻って来るのが半年
後であれば気長に構えて植え直し、その間に収穫すればよいのではないだろうか?いやい
や、そんな楽観論は地元農民たちにとって、気休めにもならない。なぜなら、大群が去っ
た後にブラランの幼虫が地中から続々と裸にされた地上に出てきて地面を埋め、緑を求め
て徘徊しているのだ。そんな虫たちの間に何かを植えようという気が農民に起こるわけが
ない。

7月29日から三日間かけて、県農業局農産物保護課が出動してマウリル町の地上を埋め
た百万匹超の幼虫駆除を行ったばかりなのに、コンパス紙記者が訪れた8月の第一週も駆
除前と似たような状況に戻っていた。「駆除を行って百万匹くらいの幼虫が地面で死骸に
なったし、それとは別に用水路でも同じくらいの量が水面を埋めたというのに、それから
一週間ほどでまたこんなありさまだ。何をすれば根絶できるのか、われわれはまったく途
方に暮れている。」農産物保護課長はそう述べている。

県農業局長は、ブラランの個体数は減少していると語る。「県下の2003年ブララン数
は2002年調査時よりも減少した。ただしそれは平常時の話だ。ところが蝗害の際の群
れの規模は大きくなっている。」

原因と対策に関する学術的な話はもはやステレオタイプのものになった。気象異変とエコ
システムのバランス崩壊によってブラランの生態に変化が起こっているのだが、昔から行
われて来た人間による自然環境破壊そしてブラランハンターの捕獲や除去も相変わらずの
ありさまであり、人間を変化させて行かなければ対策はおぼつかない。[ 続く ]