「黒ヤギ、それとも黒ヒツジ?」(2021年09月03日)

ライター: 文司、ジャカルタ在住、レミ・シラド
ソース: 2001年12月1日付けコンパス紙 "Kambing Hitam"

インドネシア語には、先進文化諸国の外国語を話すひとびとがもたらした特定の教訓モデ
ル、特に倫理に関わる類推的発展形態に由来する言葉がたくさんある。注目に値するその
一例がkambing hitamである。

自己の潔白を主張するために過誤を誰かに押し付けるという語義を含んでいる言葉だ。興
味深いのは、その言葉を持つインドネシア人が黒カンビンを作り出すことにきわめて長け
ているという点にある。

この言葉自体はそれほど古いものでない。1619年に既に存在していたオランダ語訳の
書物にもとづいてライデカーLeijdeckerが高等ムラユ語に翻訳した、ヘブライの書物トラ
Torahの記述の解説として生まれたものである。生贄のカンビンに関連付けられる黒カン
ビンは西洋諸語の翻訳の中で通常Leviticusと呼ばれているトラ第三巻の中のハルンHarun
の話に関連して登場する。ハルンは二頭のカンビンをくじ引きして一頭は神、もう一頭は
アザゼルazazelのために生贄にするよう命じられた男だ。

概して西洋語はどれも、フランス語とスペイン語を除いて、ヘブライ語のアザゼルを過誤
や邪悪に関連する概念に翻訳している。特にインドネシア語への類推的発展に最大の影響
を与えた、オランダ連邦共和国頭領の下に国家シノディsynodiとして作られたオランダ語
訳にはこう書かれている。
Aaron zal de loten over die twee bokken werpen: een lot voor den Heere, en een 
lot voor den weggaande bok.

ヘブライ語アザゼルの訳語に使われたオランダ語weggaande bokを語義通りに訳すなら、
去った、あるいはいなくなったカンビンという意味になる。オランダ語のbokあるいは
bokkenはカンビンの意味だが、過誤や愚かさの意味をも持っている。インドネシア人は
オランダ語のその意味を取り込み、発展させたのだ。

ジェームズ王版と言われている1611年に出版された英語訳では、アザゼルはscape-
goatと書かれている。
Aaron shall cast lots upon the two goats: one for the Lord and the other lot for 
the scape-goat.

エコルズ=シャディリの英語インドネシア語辞典でscape-goatの語義はsebab kesalahan
またはkorbanとなっている。

その点に言及するなら、アザゼルの英語訳も独特な意義を解説する倫理理論上に生まれた
類推に関連していると言うことができよう。scape-goatは本当のところ、ベーコンがアメ
リカーナ百科事典で述べているように、アザゼルのためのカンビン以上のものであり、も
ちろん黒色が普通なのである。


とはいえアザゼルの語義について、西洋諸語を通して満足できる理解に達しようと努めて
も、うまく行くものではない。古代セム語族一般、特にはヘブライの伝統的宗教倫理に関
する慣習の中にあった観念が、その当時は異教徒だった西洋人の持つ観念で容易に解き明
かせるものではないのだ。そのために、このペリコープに対するフランス語やスペイン語
の翻訳はより妥当に見える。フランス語はこれ。
Aaron jettera le sort sur les deux boucs, un sort pour l'Eternel et un sort pour 
Azazel.

スペイン語はこれ。
Y echara suertes Aaron sobre los dos machos cabrios, una suerte por Jehova, y 
otra suerte por Azazel.

この過誤の犠牲と類推されるアザゼルとは、本当は何、あるいは誰なのか?
図解聖書辞典の中でイーストンは「一部のひとは悪霊あるいは悪魔と考えている」と述べ
ている。ところがディヴィッソンはA Dictionary of Angelsの中で「罪に堕ちた2百人の
天使のリーダーのひとり」と書いている。

kambing hitamの語がオランダ宣教団学校のムラユ語教育の中で最初に使われたのは19
世紀のマルクだった。ヨセフ・カムはそこでの著名な教師のひとりだった。最初かれはス
マランで働き、その後アンボンで預言者のように敬虔派方式でムラユ語を教えた。