「スラウェシ島の食(3)」(2021年09月09日)

マカッサル市内には、チョト、コンロ、そしてパッルバサpallubasaを食べさせてくれる
人気店がいくつもある。ヌサンタラ通りのcoto Nusantara、ロンポバッタン山通りのコン
ロカレボシ、スリガラ通りのパッルバサスリガラが各料理の代表店と言われている。

他にもアロマチョトガガッ、チョトパライカッテ、チョトブガダン、チョトペッタラニな
どがマカッサルのチョト愛好族を招いている。コンロとパッルバサは上の代表店が断トツ
で、競争できる店がまだ育っていないようだ。

パッルバサというのはチョトと同じように、炒ったココナツ果肉とスパイスで臓物と肉を
煮込んだ、黄色く濁ったスープだ。このルウ県由来のスープは水牛が使われている。


チョト食堂では、朝から客が入れ代わり立ち代わり店内のテーブルを満たし、昼食時には
客が並んでテーブルが空くのを待つ状態が日々出現する。チョトヌサンタラは1960年
に別の場所で食堂を開き、その後数カ所を転々としてからヌサンタラ通りに店を張って今
日に至っている。

チョトが爆発的に売れるようになったのは2010年であり、それ以来、客がひっきりな
しにやってきた。店内がいっぱいになるとひと椀のチョトを食べるために客が表で待つこ
ともいとわないあり様に変貌した。


コンロがはじめて世に出たのは、マカッサル市内カレボシ広場に1968年に店を開いた
コンロカレボシの店主の手からだった。17時に店がオープンすると、カレボシ広場で運
動していたひとびとがコンロを食べにやってきた。およそ一年間で、コンロカレボシの名
はマカッサル住民の間に知れ渡った。マカッサル市内ロンポバッタン山通りの店を買って
移転したのは1971年で、屋号はコンロカレボシを維持した。

ロンポバッタン山通りの店は午前11時にオープンし、23時に閉店する。この店も客が
ひっきりなしに出入りしていた。一日に8百食が売れた時代があった。初代創設者は汁の
だしを取るのに小豆を混ぜたが、二代目はそれをやめてピーナツの量を増やし、少し焦げ
るくらいまで焼いて汁の色の黒さを強めるように変えたそうだ。


ローカル料理の人気店をマカッサルの市内で探すのは、分かりやすい。料理の名前と道路
名を屋号にしている店が多いからだ。パッルバサスリガラはスリガラ通りのパッルバサ食
堂を意味しており、オオカミ肉のパッルバサなのではない。ましてや、店主がオオカミの
ような人間だということでもないのだ。ただしコンロカレボシは名を高めたときの地名が
使われている。

更にマカッサル人は店の創始者の名前を宣伝に使うことを好んでいる。ハジの誰それが作
り上げた味だという意味でasuhanという言葉を付記しているところが多い。

たとえばCoto Gagak Asuhan Haji Jamaluddin Daeng Nasa, Pallubasa Srigala Asuhan 
Haji Chaeruddin, Warung Ikan Bakar Paotere Asuhan Daeng Tawakkalといったスタイル
だ。

そのスタイルは別の州に進出した店が始めた習慣らしい。別の州の住民が持っている、チ
ョトマカッサルの味はどの店でも同じだろうというイメージを切り崩して自店をプロモー
トするために、当店は独特の味付けであるという主張を表明する方法としてその手段が執
られたのだそうだ。それがマカッサルの市内にまで逆流して行ったということらしい。
[ 続く ]