「スラウェシ島の食(4)」(2021年09月10日)

古い時代のマカッサルでは、どの料理は何時ごろに食べるものという時間割があった。午
前6時前はトウモロコシ飯のバッサンbassangやモチ米飯にチリメン雑魚をふりかけたソ
ンコロsongkolo。7時までは黄飯nasi kuningで、7時を過ぎると正午ごろまでチョトに
交代する。10時を過ぎるとサウダラスープsop saudaraを探すひとが増える。サウダラ
スープというのは牛肉のスープで、ビーフン・ジャガイモのプルクデル・臓物の揚げ物・
ゆで卵などが付いている。たいていそれを白飯と焼き魚のおかずと一緒に食べる。

昼食は魚の頭スープやパッルカロアpallu kaloa。パッルカロアは魚のラウォンスープだ。
そして夕方から夜中にかけてはコンロの出番となる。

この習慣はマカッサルから外に出ると、周辺地方ではいまだに守られているそうだ。州都
のマカッサルだけが、古いしきたりから離れて自由を謳歌している。似たような例は世界
中にあるだろう。

チョトが朝食あるいは午前中の食べ物であったことについて、チョトヌサンタラの店主ハ
ジ・マッムル・ダエン・トゥトゥ氏はこう語っている。
「マカッサルに冷蔵庫が普及したのは1980年代でした。冷蔵庫のない時代、わたしは
朝暗いうちにパサルへ買い物に行き、戻ったらすぐに調理を始めました。料理ができたら
すぐに開店して商売開始です。というのも、チョトは3〜4時間経過すると汁の味がダメ
になってしまうからです。だから、冷蔵庫のない時代には、午後になったらチョトを売る
店が街中に一軒もないという状態になったのです。」


冷蔵庫の普及によって、朝暗いうちに買って来た肉や臓物がその日の何時にでも出して料
理できるようになった。チョトが朝飯になる因果関係が冷蔵庫によって断たれたのである。
チョト食堂は夕方でも夜でも、翌朝までだって営業できるようになった。マカッサル市民
もチョトが朝飯であるという観念を捨てた。

午前2時。ワルンチョトペッタラニは煌々と灯りがともり、チョトを食べるたくさんの客
で賑わっている。別の場所にあるチョトバガダン食堂も同じようなありさまだ。マカッサ
ル語のバガダンbagadangはインドネシア語のbegadangに相当しており、徹夜して起きてい
る人間の行動を指している。チョト食堂が従来の観念から外れて夜中までチョトを食べる
機会を提供するようになったのは2003年ごろからだった。その先鞭をつけたのがチョ
トバガダンだったと言われている。

1990年ごろ事業を始めたチョトバガダン食堂は最初からその屋号ではなかったはずだ。
この店は最初午前8時に開店して、昼前ごろには売り切れになって閉店していた。店主は
夜中まで商売してみようと考えて、営業時間を延ばした。すると客がどんどんやってきた。
断食月にはマグリブに合わせて開店した。客の多くがサウルもここで食べたいと要望し、
翌日未明まで開店するようになった。断食月でなくなっても、店は朝から翌朝まで営業す
るようになり、こうして24時間営業の食堂になっていった。

チョトペッタラニ、チョトガガッ、チョトダエンバガダンなどがそれに追随した。今では
マカッサル市内に不夜城のチョト食堂が立ち並んでいる。


マカッサル市内にはカプルンkapurung食堂もある。カスアリ通りにあるルママカンカプル
ンカスアリがそれだ。カプルンもスープだが、サゴの団子が入っている。サゴの塊はまず
冷水で洗い、そのあと熱湯をかける。するとサゴが溶け始めるから、それを手で丸めて団
子にする。[ 続く ]