「ウシ ウシ ウシ(5)」(2021年09月10日)

マドゥラ島の外の世界の人間は、マドゥラ島はカラパンサピのイメージが強いため、すぐ
に牛を連想することになる。ところがマドゥラ島人にとっての牛は、サプディSapudi島が
最初に連想されるものなのだそうだ。

マドゥラ島の20キロほど東方に浮かぶ、面積128平方キロの島がサプディ島で、東ジ
ャワ州スムヌップSumenep県に含まれている。マドゥラ本島のドゥンケッ港とは3時間ほ
どの航海で往来できる。サプディ島沿岸部の住民はたいてい漁労で生活しており、内陸部
は農業と牛やカンビンの飼育だ。サプディ島地元行政者は、ここは牛の島だと自認してい
る。牛の繁殖と肥育が島の重要な産業になっているのだ。

サプディの牛は赤っぽい茶色の皮をしていて、角は見えないくらい小さく、額に盛り上が
りがある程度のものだ。マドゥラ島のカラパンサピに出場するオス牛はたいていサプディ
島出身者だと言われている。

サプディ牛の島外への積み出しは毎週二回行われている。その数は週当たり2百から4百
頭にのぼり、ジャワ島へはシトゥボンド港、マドゥラ島へはスムヌップ港で陸揚げされる。
時おり、牛をカリマンタン島に運ぶ船も出る。

それほど大量の牛が送り出されているというのに、島内の牛が枯渇することはない。19
70年以来、牛の繁殖活動を行っている住民のひとりは「毎年子供が生まれる」と次のよ
うに語った。「牛は二歳になると妊娠できる。妊娠期間は10カ月だ。妊娠適齢期に入っ
てから15年後くらいに一生を終えるから、生涯出産数は15頭くらいになる。実際に、
だいたい毎年子供が産まれている。」

サプディ島ガヤム郡では、ほとんどの家庭が住居からほんの数メートル離した牛小屋で牛
を飼っている。牛をつなぐ杭が道路から見えており、杭の本数が飼われている牛の数を示
しているので、わざわざ各家を見に行かなくても牛の数はすぐにわかる。どの家もたいて
い杭は2本だが、多い家は5頭くらい飼っているところもある。仔牛はつながれないので、
杭の数の勘定外になる。


サプディ島では、牛を島外から持ち込むことが禁止されている。サプディ牛の種の劣化を
怖れているからで、島内では純血種を維持することが昔から守られて来た。それほど昔か
ら牛の繁殖と飼育が行われて来たというのに、モダンな飼育法に関する指導が行われたこ
とがない。つまりこの島は、古来からの方法がいまだに連綿と続けられている場所なので
ある。

たとえば、この島には獣医がいない。へき地なので医療体制も充実していないが、マント
リと呼ばれる民間医はいて、人間の患者を扱っている。土地柄が土地柄であるだけに、マ
ントリも多少は獣医の心得を持っているから、牛が病気になれば注射を打ってくれるのだ
が、島の経済レベルが極めて低いために、その治療費を負担できる家があまりない。だか
らたいていの飼育者は医者を訪ねないでまじない師を訪れ、呪文を吹き込んだ水をもらっ
て牛に飲ませるだけだ。

飼育者はみんな、牛を健康に育てるためのジャムゥとして水・ヤシの汁・鶏卵・ヤシ砂糖
を混ぜたものを週一回牛に飲ませている。これは何代も昔の先祖から伝えられてきた処方
なのだそうだ。

またいかにも牛で生きている社会にありそうな、異界にある牛の王国神話が信じられてい
て、巨大な牛の大王が11月12月の毎週木曜の夜に地上に降りて来る話が語られ、その
足跡を見たと言う住民も多数存在している。木曜の夜と言うのはインドネシア人がよく物
語っている、魔界の扉が開くmalam Jumatのことである。


サプディ島もマドゥラ島と同様の乾燥気候であり、乾季には牛の飼料が減少する。それが
激しい年には、牛の食糧をジャワ島から買わなければならない。それでも、牛はまだ良い
待遇を受けている。サプディ島で飼われているカンビンは乾季になると、自分で餌を探す
ように原野に放たれる。誰のカンビンなのかが分かるように目印の布を首に巻いて放すの
だが、行方不明になる者も出る。牛が常に人間の手に届くところに置かれているのとは大
違いだ。[ 続く ]