「ウシ ウシ ウシ(7)」(2021年09月14日)

現代インドネシアでも、全国34州の中でアントラクス発症報告がいまだかつてなかった
州は存在しないとのことだ。散発的な発症報告と流行が猛威を振るう状況はマッシブな影
響という面から違いがあっても、メディアに単発の発症報告が登場するだけで食肉市場は
大きい混乱に見舞われがちだ。

インドネシア保健省は西ジャワ州・中部ジャワ州・東ヌサトゥンガラ州・西ヌサトゥンガ
ラ州の四州をアントラクス風土病地区に指定している。この病魔の流行は多雨と洪水が引
き起こす面がよく語られているものの、乾燥した東ヌサトゥンガラ州ではまた異なる様相
が流行を引き起こすようだ。

2005年に書かれた評論を読むと、西ジャワ州ボゴール県がアントラクス風土病地区に
なっていて、ボジョングデ・チビノン・チトゥルップ・ババカンマダン・スカラジャ・ジ
ョンゴル・スカマッムル・チルンシ・クラパヌンガルの9郡が中心をなしている。

2001〜4年の人間の発症記録では、2001年にスントゥル村、2002年カドゥマ
グ村、2003年はスントゥル・カラントゥガ・カドゥマグ・チタリングルの四村、20
04年はカドゥマグ・チパンブアン・チタリングルの三村で罹患者が出た。症状は皮膚炭
疽症だった。

一方家畜の発症記録では、ヤギとヒツジが罹患していて牛の発症例はひとつもなかった。
2001年にハンバラン・カラデナン・クドゥンバダッ・チマッパルの四村、2002年
はハンバラン村、2003年チトゥルップとタナサレアルの二郡となっている。


世界の医学史において炭疽病が初めて発見されたのは1752年3月とのことで、ドイツ
人ロベルト・コッホが1877年に発表したコッホの原則によって理論化された。その防
疫の先端を切ったのがフランス人ルイ・パストゥルLouis Pasteurであり、1881年に
かれが初めてアントラクスのワクチンを作った。

バンドンにパストゥルという名のエリアがあることは有名だ。そのパストゥルは間違いな
くルイ・パストゥルの姓に由来している。果たしてパストゥルがオランダ領東インドのバ
ンドンで一時期、研究生活を送ったのだろうか。答えは否。パストゥル本人がやってきた
のでなく、パストゥル研究所Instituut Pasteurがやって来たのである。


パストゥルがさまざまなワクチンを開発したことから、オランダ植民地政庁はワクチン研
究と接種普及の本拠地として1890年にワクチン接種パークParc Vaccinogeneをバタヴ
ィアのヴェルテフレーデンにある軍大病院内に設けた。1887年にパリに設立されたパ
スツール研究所がそのバックアップをしたのは言うまでもない。

1923年、オランダ植民地政庁が首都をバタヴィアからバンドンに移すことを決めたた
めに、政府機関や植民地軍総司令部などがバンドンに移った。ワクチン接種パークもバン
ドンに移り、そのときに公式名称がLandskoepok Inrichting en Instituut Pasteurと変
わった。そして、その本部敷地の前を通る大通りがPasteurwegと命名されたのである。

1950年3〜4月にオランダ式道路名称はインドネシア式に変更され、Jalan Pasteur
と変わった。

その本部は日本軍政期にバンドン防疫研究所となり、終戦後オランダが復帰してまた昔の
機能に戻した後、インドネシア政府がオランダ資産接収を行って国有機関に変え、現在は
国有事業体PT Bio Farmaとなって国産ワクチンの開発と生産に携わっている。[ 続く ]