「スラウェシ島の食(9)」(2021年09月17日)

一方、最初はティドーレに向かっていたメキシコからのスペイン船がフィリピン南部の植
民地化を開始し、ミンダナオ島では1521年から侵略が始まった。そしてスペイン人は
当然のように、ミンダナオの属領は自分たちのものだと見なして北スラウェシに来航し、
1550年にマナドの港にスペイン要塞を築いて北スラウェシの支配に乗り出した。マニ
ラがスペイン領フィリピンの首都になった1571年よりずっと前のことである。

最終的にはスペインの支配を嫌う北スラウェシの土着支配層がオランダVOCの援助を求
めてスペイン人を北スラウェシから追い払ったのだが、オランダの植民地支配下に落ちる
というのがその結末になってしまった。ともあれ、スペインの支配下にあったマナドでは、
当然ながら親スペイン層原住民が言語習慣宗教を学んで土着化させることが発生したから、
スペイン語やスペイン料理などがオランダ文化の陰に隠れながらいまだに生き残っている。
たとえばドウに魚を混ぜて練った実を包んで揚げたパナダpanadaはスペイン文化の影響だ
と一般に言われているものの、ポルトガルが由来だと異を唱えるひともいる。


スペイン人よりもずっと着実に北スラウェシにヨーロッパ文明を植え付けたオランダ人の
言葉や食べ物のほうがはるかにたくさん現存している。特にオランダ語で呼ばれている菓
子類の中にはローカル風にアレンジされたものも見られ、より旨い物を作ろうとする地元
のひとびとの意欲と言うか、執念じみたものが感じられる。

クラッパターツklappertaart、ブルードゥルbrudel、ポフェルチェスpoffertjesなどマナ
ドやマルクの家庭の食卓にはよくオランダ語名のおやつが登場する。ポポルチスpoporcis
と訛って呼ばれることもあるポフェルチェスはタコ焼き板でドウを焼くひともいるようだ。
他の地方でそれはkue cubitとも呼ばれている。その他にもspeculaas, ontbijtkoek, 
napolitein, nastar, kaastengels,・・・・ 

クラッパターツは小麦粉・メイズ・砂糖・バター・卵・干しぶどう・クナリの実・シナモ
ン・若いヤシの果肉で作る。表面をヤシの果肉がたっぷり埋めるから、名前通りのクラパ
のタルトと言えるだろう。オランダには元々クラパの木が生えていなかったのだから、ク
ラッパターツはヌサンタラにやってきたオランダ人がタルトのバリエーションとして考案
したものではあるまいか。

オランダ人はヌサンタラのひとびとがクラパと呼んでいる物品をklapperと綴ったようだ。
習い覚えたアルファベットでヌサンタラのひとびとがムラユ語を書く時にクラパという言
葉をklapperと綴ったかどうかはよく分からない。なにしろオランダ人がムラユ語のアル
ファベット標準表記法を決めたのは1900年ごろなのだから。つまり、古い時代にオラ
ンダ人がオランダ語のklapperを東インド人にクラパの綴りとして使わせたかどうかとい
う話をわたしはしている。

文字としてその推移を眺めるなら、オランダ語klapperがムラユ語kelapaを生み出したよ
うに見えないこともない。しかし言語の世界は昔から「最初に音ありき」だったのであり、
人間のいるところ、まず「物と名称と音」が一体化して存在し、文字表記は後追いで出現
したというのがユニバーサルな実態だろう。文字を基準に据えるとタイムラインの中でピ
ンボケが起こる可能性は高いように思われるのだが、文明重視を好むひとびとは文字を基
準にして言語を見たくなるようだ。その傾向は日本人だけに限らない。

オランダ人もスペイン語/ポルトガル語由来のcocoの語を使う方が優勢らしく、coconut
に対応するkokosnootの方が一般的に使われているように見える。klapperはインディシュ
の愛用語ということなのだろうか。[ 続く ]