「ウシ ウシ ウシ(10)」(2021年09月17日)

ソロ王宮で飼育されているクボブレは白子水牛である。キヤイスラムッKyai Selametとい
う家職名を与えられている白子水牛の群れは、先祖代々伝えられてきた王宮の伝統の一部
であり、王宮を現在の王宮たらしめている秩序と繁栄を成り立たせる聖なる力を持つもの
と認識されている。

ジャワ暦新年であるスラ月一日の前夜、つまり大晦日の夜に、クボブレは王宮を出てソロ
の街中を練り歩く。パレードの開始時間は決まっておらず、水牛が外に出歩く気になるま
で待機状態が続く。街中では大勢の市民や外来者がパレードを待ちながら時間を費やし、
やってきたクボブレからご利益を得ようとして身体に触ったり、排泄物を拾って大切に持
ち帰る。


クボブレの伝統はパクブウォノ二世のときに始まったそうだ。このマタラムスルタン国開
祖パヌンバハン・スノパティから数えて第9代目に当たるスルタンのとき、華人街大騒乱
Geger Pecinanが発生した。騒乱は尾を引いてジャワ島内の各地に飛び火し、華人民兵軍
とVOC軍の戦争にジャワのプリブミ軍が巻き込まれて戦火が広がり、パクブウォノ二世
の王都カルタスラも灰燼に帰した。

戦争が終わった後、パクブウォノ二世は新たな王宮を建設するために、ポノロゴの太守か
ら贈られた霊力を持つ白子水牛に土地を探させることにした。キヤイスラムッと名付けら
れた白子水牛はどんどん歩き続けて、最後に止まった場所に新都が築かれ、その新都はス
ラカルタと名付けられた。そのときキヤイスラムッが止まった場所に現在のソロ王宮が建
っている。


南スラウェシ州トラジャでは、水牛に特別の意味が与えられている。トラジャでは毎年ク
リスマスから新年にかけての期間に慣習上の祝祭であるランブソロRambu Soloとランブト
ゥカRambu Tukaが催される。ランブソロは葬式であり、ランブトゥカは昔建てられた伝統
家屋トンコナンtongkonanの補修がなされたことへの祝いである。それらの儀式は、その
一家一族の祭りにとどまらず、生活共同体である所属社会の全員参加で行われる。つまり、
主催者である当事者一家が地域社会を招いて儀式を行うというスタイルだ。そこで豚や水
牛が屠られて地域社会の全員に対する饗宴に使われる。

非現代的社会の多くが葬式や伝統儀式に巨額の出費を行う慣習を持っているのは、元々存
在した原始共産社会の平等秩序の維持が目的だったように思われる。突出した富者が出現
してその一族が社会支配を行うようになることを避けるために、金持ちほど多額の出費を
強いられる方向付けがそこでなされたのではあるまいか。バリ島ヒンドゥ社会に関りを持
った外国人の、その面の嘆きを耳にすることは稀でない。

そこには見栄と呼ぶことのできる精神作用がからんではいても、それが閉鎖的な社会内に
おけるステータスと待遇に深く関わっているために、それを守らなければ現在置かれてい
る社会的な位置付けから転落してしまうことになる。転落は問答無用で劣悪・醜悪な事態
と見なされ、そのような社会における悪評は社会生活における致命的な結果を招くことに
なりがちだ。封建社会と呼ばれる、閉塞的で狭い社会に育った人間の姿がそれだろう。

水牛を屠って肉の饗宴を行うことが社会ステータスと結びついた時、水牛価格は経済合理
性から逸脱してしまった。上等な水牛は高級四輪車並みの価格にまで上昇して行ったので
ある。わたしはおいしい水牛肉の話をしているのでなくて、生きている水牛が上等かどう
かということを述べている。肉の美味不美味と関係なく、外見が珍しくまた目に美を感じ
させる生きた水牛の価格のことを言っているのである。

見目に値打ちがあり、実際にパサルでも目の玉が飛び出るような高額で売買されている品
をいともあっさりと屠って、「さあ皆さん、どうぞお食べください」という行為がどれほ
ど見栄を際立たせるかは、その肉の美味不美味という要素を消し飛ばして余りあるのでは
ないだろうか。[ 続く ]