「スラウェシ島の食(11)」(2021年09月21日)

焼き魚の中で特筆に値するのが鯛の頭焼きだろう。日本の兜焼きに相当するのだろうが、
マナド料理はトウガラシなしには済まない。並みの辣さでは満足しないマナド人がだらだ
ら汗を流しながら食べるkepala kakap bakarに挑戦するのもきっと面白い話のタネになる
ことだろう。もちろん鯛だけでなく、大型の魚ならたいていのものは頭焼きメニューにな
るようだ。


たいていの食材が使われるミナハサ料理のユニークさは調理法にある。おまけにありとあ
らゆる料理にトウガラシが必ず使われている。使われる量も半端ではない。辣ければ辣い
ほどおいしく、しかも食欲が湧いて来ると言うのだから、かれらの口と胃腸も半端ではな
いに決まっている。

ミナハサの婦人たちは台所でいともあっさりと手のひら一杯のトウガラシを料理に使う。
三人分の食事を作る場合には最低でも二握りのトウガラシが使われるのだから。かれらの
食事からトウガラシを抜いてしまうと、塩を使い忘れたおかずのようになってしまうそう
だ。だから甘いお菓子でないかぎり、トウガラシを使うのは常識になっている。

ちょっと古いデータになるが、2011年全国州別トウガラシ消費量統計は北スラウェシ
州が住民一人当たり月間1.6キログラムとなっていて、全国平均の1.3キロより23
%多かった。州内の月間消費量は2千トンだ。トウガラシの需給関係に全国的な異変が起
こって値上がりしても、かれらのほとんどは買い控えをしない。きっと辣味の乏しい食事
に耐えられないのだろう。2013年に全国的なトウガラシ危機が起こった時も、トウガ
ラシが節約されることはなかった。その年3月のマナド市インフレ率は対前年比で1.5
2%に達し、その内訳の半分以上である0.85%をトウガラシが担っていた。


トウガラシの辣味は口の中の痛覚受容器官を刺激してあの辣い感覚を生み出しているので
あり、痛覚は繰り返されるうちに人間の保護機能が働いて鈍化して行く。その伝で行けば、
辣口が半端でないひとは痛覚受容器官があまり鋭敏でなくなっているということかもしれ
ない。おまけに人間の身体は痛覚がピークに達すると快楽ホルモンが放出されるという話
もあるため、辣味愛好家というのはその快感を求めて、あえて痛みで死に体になるほどの
辣味を口に入れている可能性もありそうだ。

余談はともあれ、ミナハサ人の台所に鎮座する最重要食材のトウガラシを地元ではリチャ
ricaと呼んでいる。マナド料理によく登場するリチャリチャrica-ricaはショウガ・トウ
ガラシ・チャベラウィッ・赤と白のバワン・塩・砂糖を潰して混ぜたものをコブミカンの
葉・スレー・ライム搾り汁と一緒にヤシ油で炒めたもので、この調味料をありとあらゆる
食材にからめて焼いたり炒めたりする。bebek rica-rica, ikan mas rica-rica, sapi 
rica- rica, babi rica-rica, cakalang rica-rica, tude rica-rica, udang rica-rica, 
cumi rica-rica, kelinci rica-ricaなどがマナド料理の通り相場のようだ。

このricaという言葉は多分mericaに由来しているように思われる。KBBIのmericaの語
義はコショウだけしか記されていないが、インドネシア語シソーラスにはmericaとcabai
のそれぞれの同義語として互いの言葉が掲載されており、インド由来のコショウmericaに
アメリカ由来のトウガラシが対抗馬として登場した時期にトウガラシもmericaと呼ばれた
ことを推測させるものだ。

その可能性は、西洋諸語でトウガラシがコショウの名称に付属語を付けて命名されている
こととの類似性を感じさせてくれるのである。たとえば英語ではコショウpepperの語がト
ウガラシchili pepperに使われているように。今でこそchiliやcayenneなどと省略して使
われているものの、元々はpepperが付着していた言葉なのだ。[ 続く ]