「ウシ ウシ ウシ(15)」(2021年09月27日)

水牛の頭数でヌサンタラ第四位にいる北スマトラ州も、水牛のいる人間の暮らしの一典型
だ。バタットバ人にとって、水牛は暮らしに欠かせないものになっている。水牛のミルク
を飲み、また料理のおかずに使い、肉も日々の食事や祭りの饗宴に使われる。婚礼・葬儀
・マゴンカルホリなどの伝統祭礼には水牛が屠られる。

マゴンカルホリというのは一族の先祖代々の墓を建てる行為で、既に没したひとびとの個
別の墓を掘り起こし、新たに設けた先祖代々の墓に埋め直す行為だ。インドネシア語では
upacara penghormatan tulang belulangと呼ばれている。


トバ湖南岸を擁するサモシル県では、たいていの家庭が水牛を飼っている。子供が結婚す
る、あるいは大学に入る。そういった特別な支出が起きるとき、飼っていた水牛が売られ
る。体重60〜100キロくらいの生後5〜10カ月の仔水牛を買って1〜2年育てると
体重は300〜400キロになる。売値は購入金額の二倍を超える。

自分で育てるひともいれば、他人に預けて飼育させるひともいる。他人に預ける場合には
売れた時の収入をシェアする。比率は前もって合意される。水牛の世話をすれば、売値の
4分の一くらいが手に入る。メス牛が大きくなると、子供を産ませるためにオス牛を融通
し合う。メス牛の飼育者は知り合いからオス牛を一週間借りてきて種付を行い、オス牛を
無料でオーナーに返す。

水牛は毎日餌場に連れて行って、夕方連れて帰るだけだから、その世話を子供にさせる家
庭も多い。子供は学校へ行く前に水牛を妥当な餌場に連れて行き、その後で学校へ行く。
学校が終わると水牛を別の餌場に移し、夕方になると檻に連れて帰る。兄弟やいとこ同士
で十数頭の水牛を毎日世話している子供たちがたくさんいる。子供たちは水牛を率いる仕
事を通して、リーダーシップを身に着けるようになる。

昔はたいてい、広い草地に連れて行って一週間くらい水牛を放っておいたものだ。今でも
それを続けている村もあり、その期間は村人が交代で水牛の番をする。そんな広い草地も
減って行く一方であり、そんな習慣もなくなりつつある。


南スマトラ州オガンコメリンイリル県パンパガンPampangan郡は水牛の棲息地だ。プラウ
ラヤンPulau Layang村は水牛の村である。名前はプラウだが島ではない。

パレンバンの街から90キロほど南にあるこの村は2百ヘクタール超の広大な湿地帯の中
にある。場所によってまるで湖のような深みの広がるこの湿地帯が7百頭の水牛のハビタ
ットなのだ。

まだ日の出前の暗い時間に、深みの岸に並ぶ水牛の檻に牧童たちが小舟でやってくる。檻
の柱につながれた水牛の乳を搾りに来る村人もいるし、牧童も乳搾りをする。乳搾りが終
わると水牛の綱が解かれ、牧童たちは檻の中の水牛を水面に放つ。

2百頭ほどの水牛が角のある頭だけを水上に出して泳ぐ。水牛の長い列が水面を進む。深
みの中央部まで来た水牛は浮かんでいる植物を食べ始める。群れの番をする牧童たちは自
分一人が乗っている小舟にその日一日分の飲食物とタバコを置き、水牛の群れの進行を見
守る。群れから離れてひとり別方向へ行こうとする者をまた群れに戻らせる。

50人ほどがオーナーになっている7百頭の水牛は、毎日餌場と檻の間を泳いで往復して
いる。牧童は村人が交代で務める。この村では水牛の繁殖と飼育が主活動になっていて、
乾季のときだけ副業として稲を植える。

夕方になると、牧童が餌場から檻に連れ帰る。朝と逆方向に水牛の長い列が進行する。檻
まで戻って来ると、水牛たちは自発的に自分の檻に入って行く。自分の檻がどれなのかを
かれらはよく知っているのだ。小舟の上の牧童たちは、その動きをじっと見守る。牧童た
ちも、どの水牛がだれのものであり、どの檻に入らなければならないのかを知っているの
である。それが終わると、夜中に檻の周辺を小舟で見回る牧童を残して、その日の水牛当
番の村人は1キロほど離れた集落に帰って行く。[ 続く ]