「イ_ア東部地方料理(2)」(2021年09月30日)

14世紀以降のいつごろだったか、バリ島東端のカランガスムKarangasem王国がロンボッ
のスラパランSelaparang王国と戦争した。この時の戦争はオランダが関わった19世紀の
ものとは別と思われる。カランガスム王国はずっと後になってイスラム化したロンボッの
王国を支配し、ロンボッ島を操っていたので、スラパラン王国との戦争はイスラム化より
ずっと以前のできごとだろう。戦争の発端にまつわるこんな話がある。

カランガスム王家の皇太子が重大な慣習上の違反を犯したため、処刑を怖れてスラパラン
王国へ逃亡し、保護を求めた。カランガスムの追跡部隊がロンボッ島に上陸してスラパラ
ン王国に皇太子の引き渡しを要求したが、ロンボッ王家はそれを拒んだ。怒ったカランガ
スム王が力づくでも奪い返すと宣言して戦争が始まった。バリ軍はロンボッ島に進攻して
島の西部をどんどん陥落させていく。スラパラン側は窮した。

スラパランの王統もバンジャル王家の子孫であり、タリワントゥガダラム王家とは祖先を
同じくしている。親戚のよしみが沸き起こり、タリワントゥガダラムから援軍が駆けつけ
て、スラパランの王都マタラムの陥落を防いだ。そのときにタリワン王国軍が防衛陣地を
築いた場所がカランタリワンと呼ばれた。その名は地名となって残され、現在マタラム市
チャクラヌガラ郡の町名として残っているのである。おまけに、3千人超のカランタリワ
ン住民は今でも西スンバワのタリワン語を使っているそうだ。


アヤムタリワンはニワトリ一羽が丸ごと皿に乗って、ひとりひとりの前に置かれる。いや、
驚く必要はない。子供のニワトリ、つまりヒヨコが一羽なのだから。生後3〜4カ月して、
親から離れて一人立ちし始めた時期のヒヨコが料理されるのだ。この時期のヒヨコ肉は甘
味があって、成長したニワトリの調味に使う砂糖がまったく不要なのだそうだ。

ヌサンタラの全土にある、ニワトリを揚げたり焼いたり焙ったりしたものはどれも似たり
寄ったりであり、地鶏ayam kampungかどうかの違いを言い立てるひともいるようだが、鶏
肉の調味に使われるブンブbumbuの違いまで心得た食道楽はあまりいないように見える。

すべからく辣いから、辣味の裏に隠されているスパイスのバラエティを感じるまでなかな
か余裕は持てないかもしれないが、その奥にある辣味求真の極意を軽視してはなるまい。
アヤムタリワンのブンブは大トウガラシ・チャベラウィッ・塩・ククイ・ココナツミルク
と少しのトラシ(エビ醤)を炒めて作る。それを肉に絡めて炒めたり焼いたりするのであ
る。

そのアヤムタリワンに影のように付き従うのがプレチンカンクンplecing kangkungだ。こ
のプレチンという言葉は茹でたカンクンに添えられたサンバルを意味しているそうだ。こ
のサンバルはトマト・チャベラウィッ・塩・トラシそしてライムの搾り汁で作られる。

プレチンの綴りが古い記事ではpelecingになっていたり、またプルチンとネット記事に書
いている日本人もいる。それらはすべて言語としての揺れの中にあるものであり、正誤と
いう姿勢でこの種の問題に関わろうとしない方が精神の安定を保てるだろうとわたしは思
う。わたしの体験だと、たいていのケースでプレチンという音を耳にしているが、もしも
案内したジャワ人がプルチンと発音したのなら、案内された外国人にとってはプルチンが
正しい音になるだろう。そのジャワ人がプルチンと発音してなんら問題のない生活を営ん
でいると言うのに、そのジャワ人は間違っていると別の外国人が力んでみたところで、ピ
エロにしかなるまい。真理は絶対、正解は唯一無二、という現代教育の弊害に侵された精
神から、人類は早く立ち直ってもらいたいものである。[ 続く ]