「ウシ ウシ ウシ(19)」(2021年10月01日) そこにはバンテンの他に野生水牛やティモール鹿、キジャンやカンチル、そしてジャワ豹 もいるそうだが、豹の姿を目にすることはなかなかできない。また、森の中にはオナガザ ルやルトゥンも棲息している。 元々1万Haあったサバンナはアカシアの樹が猛然たる勢いで生え広がって草原を森林に変 えており、6千Haがアカシアの森になってバンテンの餌になる草が生えなくなった。国立 公園管理館側はアカシアの森を伐採して元の草地に戻す努力を続けている。あくまでも人 力でその作業が行われているため、草地の復元は緩慢にしか進まない。 イギリス人ジョン・ジョセフ・スコッツデールが著わしたIsland of Javaには1805年 にクタパンからパナルカンまで旅した際の記録が記されている。そのときかれはバルラン のサバンナを通過した。道の両側は密生したススキがフェンスをなし、かれは草原・砂漠 ・川を横切った。トラの足跡も随所に見られたそうだ。 2013年にはバルラン国立公園の森林の中で女性の姿を彫刻した小型の石像が発見され ている。古代遺跡保存館はその像を、マジャパヒッ王国時代に作られたラッスミ女神Dewi Laksmiの像であると鑑定している。 サバンナは乾季に40℃にも達し、乾燥気候のためにしばしば自然火災が起こった。最初、 公園管理館は防火林としてアカシアをサバンナの端に植えた。防火林としての役割をアカ シアの並木は確かに果たしたのだが、激しい繁殖力のためにサバンナが森林に変わって行 ったことが失敗だったのである。 一方、公園管理館はパスルアンのプリゲンPrigenサファリパークの協力を得て、公園内の バンテンの繁殖活動を行っている。公園内バンテン棲息エリアに0.8Haの土地を仕切っ てサファリパークに飼われていたバンテンのオス一頭とメス二頭を放し飼いにし、かれら に子供を作らせた上で、公園内の群れに混じらせようという計画だ。 2015年にはそのメス二頭が子供を三頭生んで育てている。この一家に、公園内で棲息 している子連れのバンテンのグループがときどき接近してきており、計画遂行に関わって いるひとびとに大きな期待を抱かせている。将来、それぞれの一家の子供が大きくなった とき、ネズミ算式に次の世代が増加して行くだろう。だがしかし、プリゲンサファリパー クにどうしてバンテンがいたのか? 2009年7月24日夕方、ジュンブルJember県クシリル村に四頭のバンテンが侵入して 来た。集落の中に入ろうとしたので、村人たちは集落の入口を固めて入れないようにし、 その四頭を追い払った。その四頭は森林公社プルフタニ直営の保護林に棲息しているバン テンの群れの一部だろうと推測された。その保護林はジュンブル県メルブティリ国立公園 からだいぶ離れている。 翌日、四頭はまた同じ集落にやってきた。村人たちはまた前日と同じことを行い、三頭は 追い払うことができたものの、一頭だけは言う事を聞かずに暴れて三人の村人に軽い傷を 負わせたために、ひとびとはいきり立った。しかし最終的に殺されるまでに至らず、捕ら えられてサファリパークに委託されたのである。 サファリパークはこのオスバンテンをバリ牛と交配させて11頭の子供を得た。その子供 たちの中の三頭がバルランにやってきたということだ。他の子供たちも他地方のバンテン 棲息地で繁殖の務めを果たすことが期待されている。[ 続く ]