「ヌサンタラの馬(1)」(2021年10月05日)

インドネシアには392,137頭の馬がいて、半分近い174,392頭が南スラウェ
シ州にいると中央統計庁2020年データが示している。次に多いのが東ヌサトゥンガラ
州の115,129頭、次いで西ヌサトゥンガラ州の52,412頭、後は万の位に乗ら
ない東ジャワ9,900、西ジャワ9,645、中部ジャワ8,197、その下のグルー
プは北スラウェシ3,990、アチェとパプアが同数の2,717、そして1千頭台が7
州と続く。

バタヴィア時代のジャカルタは、個人の自家用からホテルの送迎、またタクシーやレンタ
ルの馬車がたくさん路上を往来し、鉄道馬車が走り、植民地軍騎馬隊の営舎までが市内に
あって馬で満ち満ちていたはずなのに、今では245頭しか残っていない。そのほとんど
が観光馬車デルマンdelmanの引馬だそうだ。


元々ヌサンタラの各地に棲息していた野生馬はモンゴル種系統のものだったと考えられて
いる。一方、7世紀に発展したスリウィジャヤ王国はインドと密接な関係を築いていた国
であり、そのために王国の放牧地でインドの馬がヌサンタラの在来種と混じり合った可能
性は小さくない。更に、スリウィジャヤのヌサンタラ征服によってパレンバン地方で育っ
た馬が各地の港に設けられた軍事ポストに配備されて全国的に広がった可能性もあり、あ
る地方で地元の馬は大昔からその種だったと言われても、それが原生種なのかどうかは靄
の中にある。

一方、インド産の馬がヒンドゥ王国支配層の東南アジアへの進出や移住によって持ち込ま
れたという説もある。ヒンドゥ教は仏教と異なり、人間を啓蒙教化する領域が基本的に限
られており、宇宙の安定を目指す信仰と人間の共同体生活のあり方を中心に置いた、決ま
りとしきたりによる人間存在の規定が中心になっている趣が強く、仏教のような個々の人
間を救済するための布教は起こらなかったように見える。

だからヒンドゥ教の拡大というのは、ヒンドゥ文化支配層のインドからの移住や、それが
なくても地元民のインドに対する文化的服従といった現象がその裏側に駆動力として貼り
付いていたように思われるのである。

ともあれ、それぞれの土地に置かれただろうスリウィジャヤの馬は、その地の背景や歴史
の中で独自の発展をたどることになった。たとえば16世紀になってポルトガル船がスパ
イスを求めてインドネシア東部地方に来航したとき、北スラウェシの港でポルトガル人は
船に乗せて来たポルトガルの馬をスパイスと交換した。そのヨーロッパ馬と地元の馬が交
配されて、ヨーロッパ馬に近いミナハサ馬が作られた。

似たようなことはアラブ馬やモンゴル馬でも行われ、地元馬との交配の結果、新種の馬が
誕生した。チルボンやテンゲル山系にいる体高120センチ程度の馬もそのひとつだ。そ
の馬は身体が白あるいは黒、または黄金色をしている。一般に名高いヌサンタラの馬の種
類には、マカッサル馬、ゴロンタロ/ミナハサ馬、スンバ馬、スンバワ馬、ビマ馬、フロ
ーレス馬、サブ馬、ロテ(別名コリ)馬、ティモール馬、スマトラ馬、ジャワ馬、バリ/
ロンボッ馬、クニガン馬などがある。


ヌサンタラの馬はたいていが体高115〜135センチ程度のもので、国際的に見るなら
小型種のポニーに該当している。もちろん、どの馬種も熱帯気候に十分に適応し、馬とし
ての能力を十二分に発揮している。

ヌサンタラの馬は概して頭部は大きめで、顔はまっすぐの平板であり、眼光が生き生きし
ていて耳は小さい。首は広く、うなじは頑強だ。背はまっすぐで強靭であり、尾の位置は
高めで、形は楕円形になる。脚は筋肉がついていて力強く、後脚にくらべて前脚の方がよ
く発達している。[ 続く ]