「ヌサンタラの馬(2)」(2021年10月06日)

そんなインドネシアの馬の中でもっとも高名なのはスンバSumba馬だろう。たいていのイ
ンドネシア人は、馬と聞けばスンバを思い出すようだ。スンバ島民にとって、馬は長い歴
史の中に培われて来た「人間が生きる道」の一部分をなしていて、18世紀半ばからそれ
が始まったと言われている。スンバ人の人生は馬と切り離すことができない、とかれら自
身が語っている。

元々スンバ島にいた馬はポニーであり、そこにアラブ馬が持ち込まれて混血した。インド
ネシアで最初の競走馬はスンバ馬だった。スンバ馬がサンドゥルSandel馬とも呼ばれるの
は、スンバ島の産物である白檀が綽名に使われたためだ。だれかがサンダルウッドポニー
と呼んだのが発端らしい。

16世紀ごろにいた原生種は体高115〜120センチのポニーで、18世紀に入ってか
らオランダ人が外来の馬をスンバの原生ポニーと交配させた。体格が大きくて疾走力に長
じたオランダ人の馬とサンドゥル馬の子供は、体高130〜165センチ、細身の体型、
走りが速く力も強い、という長所を獲得した。スンバ島民はその馬を愛した。

20世紀になって、スンバ島でアントラクスが流行したために馬の頭数が激減したとき、
品種改良のためにオーストラリア馬が持ち込まれて交配され、病気に対する抵抗力も高ま
って頭数は再び往時の隆盛を誇るようになった。

現在のスンバ馬は引馬・荷運び・乗馬・競走馬あるいは食用にもされる。脚と爪が強く、
首が大きいのがスンバ馬の特徴だ。身体の色も黒・白・赤・クリーム・灰あるいはまだら
の者までいる。


スンバ島では最初、馬は交通機関として飼育されたが、資産価値を持たされて結婚の結納
に使われたり、慣習儀式において褒美に使われたり、埋葬儀式には水牛の生贄と別に、馬
の殉葬すら行われてきた。貴族が死去した場合、かれの馬は即座に殉死させられる。殉死
させられる前に馬の方が死んだという、まるで自ら主人の死に従おうとした馬の話まで語
り伝えられている。

死者の遺体が安置場に移されると、生前の地位の高低に従って4、8、あるいは16頭の
馬が殉葬のために殺される。墓穴に埋められる時には、また同じことが繰り返される。

死者は祖霊に迎えられて、あの世に導かれる。そのときに、死者の霊は生きていたころと
同じように、馬に乗ってあの世に向かうのである。だから死者の霊が愛馬の霊に乗ってあ
の世へ行けるように、死者に対する最大の表敬の印としてかれの愛馬を殺すのである。

祖霊と死者の霊はその待遇を歓び、満足し、そしてまだ生きている親族子孫の安寧と繁栄
を祈ってくれる。葬式に馬の殉死が行われなければ、死者の霊はつらい思いをしなければ
ならない。王侯貴族が徒歩であの世に向かわなければならないのでは、かれの権威も地に
落ちてしまうだろう。

スンバの民衆は馬が祖霊の乗り物であると信じており、サバンナ草原にいる馬が突然いな
なくと、馬の背に祖霊が乗っているのだとひとびとは言う。サバンナで馬を放牧する時は、
牧童もスンバの伝統衣装を着用しなければならない。牛を放牧するときも、牧童はアメリ
カ西部のように馬に乗って牛の群れを統制する。


スンバ島民は馬だけでなく犬も愛している。イヌは主人の忠実な召使いであり、主人が困
難に陥った際に、主人を助けようと全力を尽くす。だから主人が馬で外出するとき、たい
ていその後をイヌがついて走っている。

一方の馬は主人と一心同体になる心の友だ。馬と乗り手が心を合わせてひとつになれば、
望むことはかならず成就する、とスンバ島民は語っている。[ 続く ]