「ヌサンタラの馬(7)」(2021年10月13日)

その時期になるとラトたちが、ニャレが上がって来るタイミングを予測して夜明け前に海
へ行き、ニャレを探す。見つかった初ニャレは持ち帰って長老会議の中で示され、長老た
ちがニャレの様子を調べて吉凶をうらなう。良く太って生き生きした色とりどりのニャレ
であるなら、今回行われる植付けとその収穫は豊作が期待される。もし貧相で弱っていれ
ば収穫は期待できず、それどころか災厄がやってくるかもしれない。

ラトの占いが終わると、一般のひとびとがニャレ取りを始める。ニャレが水上に上がって
来るのは三日間だけだそうで、ひとびとはその期間ニャレ取りを愉しむ。取ったニャレは
食べるのである。ココナツミルクで汁料理にしたり、あるいはサンバルにする。ニャレを
そのまま生で食べるひともいる。甘くてうまいと生食派は語っている。ニャレはたんぱく
質が豊富で、鶏卵や牛乳をしのいでいるそうだ。

ニャレはスンバ島の北西にあるロンボッ島でも水上に上がって来る。ロンボッ島住民もニ
ャレ取りをして、一年に一度のニャレ食を行っている。しかしパソラを行うのはスンバ島
だけだ。スンバ島では、ニャレ占いがなされなければパソラは開かれないのである。


スンバ島から馬・牛・水牛などの大型家畜が島外に送り出されている。東スンバ県の送り
出し頭数は月7百頭で、その中の4百頭が馬だ。そしてその4百頭はほとんどすべてが南
スラウェシ州ジネポントJeneponto県に向かう。ジネポントでの馬の用途は馬車引きや田
の鋤引きもあるが、食用が大きい比率を占めている。ジネポントのひとびとが祝宴を開く
とき、馬の肉の料理はなければならないもののひとつになっている。ジネポントには、タ
カラル郡トロに馬の専門市がある。

ジネポントから馬の買付け人が30人以上やってきて、東スンバ県の村々を回って馬を買
う。そのジネポントの買付け人を地元の仲介業者が間に立って世話する。直接交渉させる
と、馬の飼育者はべらぼうな価格を言うのだそうだ。島の外から買付け人がやってくるく
らいだから、むこうでは馬の価格が暴騰しているにちがいあるまい、という思惑がそこに
からんでいるらしい。だから地元の仲介業者が価格を交渉して相場の枠が崩れないように
している。


1995年、スンバ馬はマレーシアのクアラルンプルに輸出された。クアラルンプル市が
馬24頭と四輪馬車アンドンandong5台をティティワンサ湖公園の園内乗物にするために
購入したのだ。そのときクアラルンプル市は馬一頭当たりの購入価格を、インドネシア国
内相場の二倍超支払った。それはもちろん、ティティワンサ湖公園での引き渡し価格なの
である。

その後、2004年・2006年・2014年にクアラルンプル市はスンバ馬12頭の購
入を繰り返している。インドネシア側は毎回、優れたスンバ馬の選考を実施し、選りすぐ
った馬をクアラルンプル市に送った。2014年には80頭の候補馬の中から、見映えの
良い体形、細いが強い脚、気象変化に強く、病気の抵抗力が高い、などというポイントを
クリヤーした12頭が貨物専用機で送り出されている。


数は大量でないものの、インドネシア産の馬は1984年以来マレーシア・シンガポール
・サウジアラビア・ティモールレステ・日本などに輸出された実績を持っている。200
9年にはシンガポールの競馬界に優秀な競走馬が一頭2億ルピアで売られたことさえある。
スンバ島では、優秀なスンバの競走馬をたくさん作り出し、それを世界に輸出する方向で
研究開発を行っている。

あくまでもサンドゥル馬の生殖資源が失われないように保持し続け、しかも走りに長じた
馬を作り育てていくチャレンジがスンバ島民の目標になっている。[ 続く ]