「イ_ア東部地方料理(12)」(2021年10月14日)

ところで、そのマニサンにされているナツメグはヨーロッパ人が戦争までして奪い合った
ものとは違っているのだ。ヨーロッパでその1グラムが黄金1グラムと同じ価値を持った
のはナツメグの種biji palaおよびフリfuliと呼ばれる、種の周囲を包んでいる皮だけで
あり、果肉を求める者などいなかった。精油を作るための重要原料であるこのフリはイン
ドネシア語でbunga palaとも呼ばれており、その場合のbunga palaはナツメグの実になる
前の花を指しているのではない。英語でも同じようにフリをnutmeg flowerと呼ぶひとが
いるのだが、本来の英語はmaceである。実に紛らわしくてしかたない。

種とフリを抜いたナツメグの実の果肉buah palaそのものはたいした価値のないただの廃
棄物であって、インドネシア人が昔からどう有効利用しようかと頭を悩ませてきた物品な
のである。

ジャワ島西部地方で流通しているマニサンパラの本場はプルワカルタだ。オランダ植民地
政庁は1830〜70年に行ったファン・デン・ボシュの栽培制度時代に、バンダのパラ
をジャワ島に持ち込んで栽培させた。おかげで廃棄物のナツメグの実がマニサンになって
わたしの口に入ったということになる。

1913年には中部ジャワ州スマラン県ウガランUngaran山麓にナツメグ農園が設けられ
て、ナツメグの種とフリの輸出が行われていた。ナツメグが常にバンダ、あるいはマルク
と結びつけられるあまり、インドネシアの他地方にナツメグは古今往来存在しなかったよ
うに思っているひとがいるようだが、ジャワでもスマトラでもスラウェシでも、あるとこ
ろにはあるということだ。「Aという土地にBという産物がある」という記述を読むと、
「Bという産物はAという土地にだけある」と解釈して記憶脳に刷り込む精神活動は、い
ったいどのようにしてそれらのひとびとの脳内に発生するのだろうか?

ナツメグの実の利用に知恵をしぼったひとびとは、シロップ・ジュース・ジャム・ゼリー、
そしてアルコール飲料を作り出した。アルコール飲料はインドネシア語でanggur pala、
英語でnutmeg wineと呼ばれた。ナツメグワインは、種とフリを抜いた果実だけをジュー
スにして濾したものに酵母を加えて発酵させればできあがる。この商品は西洋人にたいへ
んな人気だそうで、ナツメグの保健効用が社会内で常識化された諸国のひとびとであれば
こそ、欲しがるものになっているのだろう。


バンダの伝統料理であるその魚スープikan kuah palaは廃棄物である果肉処理のためでな
く、昔黄金並みになっていたフリが使われる。もちろん今では黄金からほど遠い価格で売
買されているので、太古の神話を味わいながら食べることになるだろう。

なにしろ、そのスープはバンダがオランダのものにされたあと、そこを訪れるオランダの
要人をもてなすために使われるのが恒例だったという地元民の話であり、長い伝統を持っ
ていることについては間違いないようだ。ただ、オランダ時代より古いころの話はよく分
からないので、その形が最初からそうだったのか、西洋人のアイデアが原作に混じり込ん
だのか、その辺りのことは判然としない。

魚はスマ・カツオ・サワラのいずれかを使う。まず魚の切り身に塩とタマリンドの水溶液
をまぶして10分ほど置き、水気を落としてから炒める。赤バワン・ニンニク・トウガラ
シ・ウコン・煎ったコリアンダー・ショウガ・塩・粒コショウを練り合わせてサラム葉・
コブミカン葉・ナンキョウを加え、香りが立つまで炒める。それにココナツミルク・砂糖
・スレー・フリを加えて徐々に熱し、最後に魚を入れて煮立たせて火からおろす。それか
らバジルの葉を入れる。

フリから出る酸味と辣味が新鮮な印象をもたらす一品だ。このスープは前菜にしても良い
し、締めくくりに食べても良い。締めくくりに食べると、先に胃に納めた食べ物がナツメ
グの働きで軽く感じられ、もっと食べられる気分になってくる。[ 続く ]