「ジャワ島の料理(9)」(2021年11月16日) みんながそのような同じメニューを毎日飽きもせずに食べているかと言うと、もちろんそ んなおかしなことはあり得ない。bestik, bakmi, gudeg, jenangなど種々のメニューが食 堂に用意されている。その中で人気の高いものにgudeg cekerがある。 チェケルというのはニワトリや家鴨など家禽類の脚と爪を指す言葉で、cakarの同義語だ。 発音のバリエーションとして生じた言葉が両方とも標準単語として成立したのかもしれな い。 ヨグヤのグドゥッにココナツミルクで煮たチェケルが添えられたものがグドゥッチェケル である。ソロではヨグヤのグドゥッよりもグドゥッチェケルの方が好まれているそうで、 これは差別感(あるいは対抗意識?)を出そうとする心理が働いたためなのだろうか。 やはり朝食のチョイスのひとつに、brongkosがある。ブロンコス自体はドゥマッDemakが 発祥と言われているようだが、ソロやヨグヤで人気のブロンコスにkacang toloを使った ものがある。トロ豆は英語でblack-eyed peasと呼ばれている豆だ。 ブロンコスはラウォンと同じようなクルワッを使った黒色のスープになっている。ラウォ ンのスープにココナツミルクが混ぜられ、更にヤシ砂糖で甘味を付けたものがブロンコス だと考えればよい。その汁の具としてトロ豆・豆腐・グネモンの皮が使われる。ヨグヤで は鶏卵や鶏肉が入っているのだが、ヨグヤ以外の町ではあまり一般的でないようだ。 スレマンのパサルテンペルに1950年からワルンイジョを構えたブパッモの店は、実に 広い選択肢を客に提供して来た。そこでは、野菜のブロンコスと肉のブロンコスが分離さ れている。肉ブロンコスとしては牛肉・牛テテラン・牛コヨランの三種類がある。koyoran とは腱のことだ。それらはクルワッの黒色スープで調理されている。 トロ豆や豆腐はココナツミルクで調理されていて、サユルロデsayur lodehの形になって いる。だから伝統型のトロ豆ブロンコスがお望みなら、トロ豆と肉ブロンコスを和えれば よい。ブパッモはそういう組み合わせができるようにメニューを用意したのである。 市場はたいていどこでも、朝まだ暗いうちから活動が始まる。歴史と伝統を誇るソロ市内 中心部にある市場がPasar Gedeだ。パサルグデはオランダ人建築家トマス・カーステンが 設計し、パクブウォノ5世が竣工したパサルのオープニングを1930年1月12日に宣 した。 この市場は市民生活のための市場として設けられたものであり、昔から食材・食べ物・果 実・衣服・家庭用品などが販売されている。さまざまな庶民の食べ物も販売されていて、 食事もできるがみんな市場の中で立ったまま食べていたように記憶している。カフェのよ うなテーブルとイスのある写真が最近のネット情報に出ているのだが、昔の姿からはちょ っと想像しにくい。 わたしの記憶にあるパサルグデは、2009〜10年にかけてジャカルタとバリを往復し ていたころに何度か立ち寄ったころの姿だ。ソロ名物のintipをジャカルタのお土産に買 ったこともある。 2013年のコンパス紙記事に、ソロのパサルグデにノスタルジックな食べ物を食べに来 るひとの話が掲載されている。ソロ生まれのクリスティナワティさん57歳は、子供の頃 からcabuk rambakに親しんで成長した。 結婚したあと、夫がスラバヤに移ることになり、22歳のかの女はソロを後にした。それ 以来35年間、かの女はスラバヤで歳月を過ごしてきた。もちろんソロにやってくること も稀ではない。ソロに里帰りした時のかの女の希望は、なつかしい故郷の味を堪能してス ラバヤに戻ることだ。 パサルグデに故郷の味を求めに来たクリスティナワティさんは、パサルの中でチャブッラ ンバッを買った。クトゥパッを薄く切ったものにsambal wijenをかける。ひとによっては それをsaus wijenと呼ぶこともある。そしてコメのクルプッであるkarakが付く。ただそ れだけのものだ。 ゴマサンバルの作り方は、まずゴマをわずかな油で炒める。ゴマ油が出てきたら、ゴマを 擦る。そこにニンニク・ククイ・バンウコン・チャベラウィッ・塩・砂糖とコブミカン葉 を合わせ、湯を加えて均一に練ると出来上がる。[ 続く ]