「ジャワ島の料理(14)」(2021年11月23日)

食べ物作り売り屋台の多くは、その周辺にベンチを置いて、客がそこで食べるための便宜
を図った。そんなベンチを持たない行商屋台が住宅地内に巡回してきたときには、住民た
ちがそこに群がり、道端にしゃがんで食べている光景を昔は当たり前のように見ることが
できた。作られた料理を客が家で食べようが、屋台の周辺の道端にしゃがんで食べようが、
物売りにとってはどうでもよいことだ。要は物売りの財産である食器を食べ終わってから
返してくれたらそれでよいのである。その食器の洗い方が気にかかる客は、家から食器や
ランタンを持参した。なにしろたいてい、バケツに汲み置きした水で他人が食べ終わった
食器をゆすぐだけなのだから。

決まった場所に陣取る屋台はベンチを置くのが当たり前だったが、周辺の路上にカーペッ
トを敷き、座卓を置いて客がイートインする便宜を図る方式がヨグヤ・ソロで一般化した。

マリオボロ通りを夜歩いてみれば、道路の脇はlesehanで埋められているのを見ることが
できるだろう。レセハンとはジャワ文化の中にある、床あるいは地面に直接座る形式を意
味している。椅子やベンチを使わないのだ。日本の畳の上での生活習慣とたいへんよく似
ており、畳に座って食事したり、茶や酒を飲んだり、談笑したり、書き物をしたりする振
舞いはインドネシア語のレセハンに該当する。

ジャカルタでも、夜の道端飲食街の中には、レセハンを設けている場所がいくつかある。
南ジャカルタ市ファッマワティ通りのAngkringan Nasi Kucing Fatmawatiもそのひとつだ。
ITCファッマワティの向かい側を5百メートルほど北上するとこの店がある。

ナシクチンとは猫の餌くらいの量の飯とおかずをバナナ葉に包んだもので、普通の人間は
3〜4個食べなければ腹の虫がおさまらない。ナシクチンはソロ・ヨグヤ一帯が発祥の地
であり、地元ではジャワ語でスゴクチンと呼ばれている。バリ島にはそれに類似のものと
してnasi jinggo/jenggoがある。バリのナシジンゴはいくつかの語源説があるものの、ど
うも決め手に欠ける感触がつきまとう。

ファッマワティのアンクリガンナシクチンではソロ・ヨグヤ風メニューもあり、またウェ
ダンスチャンも作ってくれるので、ジャカルタにいながらジャワの味覚を味わいに行くの
も面白そうだ。


華やかな王朝文化の歴史と伝統を持つヨグヤ・ソロの庶民の食は、上で見て来たようなも
のだ。その地で得られる食材や調理法そのものはだいたい共通することになるのだが、そ
れでも王宮の主たちが食べる料理には違いがあって当然だろう。やんごとなき王宮の主た
ちの食を垣間見てみよう。

ジャワの王は宇宙の軸であり、世にある森羅万象が王を中心にして回転しているというの
がジャワの王権コンセプトである。そのために相伝される王の名として「宇宙の軸」やら
「宇宙を抱える」といったものが使われている。だから、その王の食事というのは王個人
の生理的ことがらを超えて、王の臣民がより良い形で現世の生を営むことに影響を及ぼす
ものになる。

たとえば、ヨグヤカルタのスルタン王宮の姫御殿から毎日午前11時過ぎに、5人の中年
女性が外に出て来る。王宮に仕えるかの女たちのひとりが大事そうに抱えているのは、ハ
ムンクブウォノ三世以来相伝されてきたキアイクルムッと呼ばれる、由緒深い甕である。
別の女性が日傘を甕にかざす。それを抱えている同僚の女性のためではない。

他の三人は茶とコーヒーの急須や諸道具を持っている。裸足の一団はよく掃除された宮殿
内の砂に覆われた暑い地面を踏んで、Patehanに向かう。パテハンは王宮内にある数カ所
の厨房のひとつだ。

パテハンの厨頭と部下たちは既に、王宮内の聖なる泉キアイジャラトゥンダの水を汲んで
沸かしていた。それでスルタンのための茶とコーヒーを淹れるのである。スルタンには毎
日ほぼ同じ時刻に茶とコーヒーが供される。しかし、スルタンが王宮内にいてもいなくて
も、かれら宮僕たちは毎日同じことを行わなければならない。なぜなら、それはスルタン
個人のために行われているのでなく、王宮の儀式として行われているからだ。ラドサンと
呼ばれるこの儀式は、王国のため、王宮のため、スルタンのため、王宮内の相伝物のため
に行われるものであり、つまりは王国の構成員たる臣民のためでもあるということになる。
[ 続く ]