「ジャワ島の料理(15)」(2021年11月24日)

ジャワの王は8年に一度、臣民のために飯を炊く。マウルッ祝祭日の前夜22時にスナン
パクブウォノと王妃が王宮の厨房ガンダラサンにやって来た。王妃は大鍋の蒸し器に米を
入れ、王は炉に薪をくべて火をつける。しばらくしてから、王と王妃は厨房を去った。飯
は午前4時に炊きあがった。

Adang Sega Tahun Dalと呼ばれる儀式がそれだ。中国人が12年をひとつの周期としたよ
うに、ジャワ人は8年をひとつの周期とし、各年に名前を付けた。その5番目の年がダル
だ。ダル年のマウルッ祝祭には王夫妻が炊いた飯が民衆に振舞われるのである。

今や伝統となったこの儀式が初めて行われたのは1744年で、王都がカルタスラからス
ラカルタに移されてから、スナンパクブウォノ2世がこれを始めた。米を炊く釜はキアイ
ドゥダと名付けられた相伝物であり、毎回必ずそれが使われている。

大勢の群衆に食べてもらうのだから、釜一杯の飯で足りるはずがない。だから王夫妻が炊
いた飯を他の飯に混ぜて量を増やす。おかずも毎回同じで、サテプントゥルとデンデンア
ゲ。このおかずもアダンスゴタフンダルの折に作られるだけの儀式用の料理になっている。
コリアンダー・サラム葉・ヤシ砂糖と一緒に炒めたミンチ肉がデンデンアゲだ。パクブウ
ォノ9世もハムンクブウォノ8世もそれを好物にした。

ヨグヤカルタでは、ニャイムリチャと呼ばれる甕で王妃が飯を炊く。飯ができると、王が
手づからそれを丸めてナシゴロンにする。球状のおにぎりだ。そのおにぎりが臣民に配ら
れるのである。


マウルッなどの祝祭日に王宮では、昔の料理が再現される。たとえば王国開祖パヌンバハ
ン・セノパティの祖父であるキ・アグン・ニスが好んだムントッアスルパンが作られる。
王宮の儀式に祖先を招こうというのだろう。このような習慣によって王宮は昔の料理を絶
やさないように守り続けているのだ。

ヨグヤ王宮の愛用料理ガランアスムはブリンビンウルとココナツミルクの汁に浸けられた
鶏肉で、マンクヌゴロ6世もそれを好んだ。他にも、ココナツミルクに多種のスパイスと
チャべとブリンビンウルを混ぜた汁に入っている牛肉料理ロンボックトッや、タぺクタン
を蒸して甘いココナツミルクに浸してあるマヌッノムという名のおやつなども昔のマタラ
ム王宮の日常の食品であり、マタラム王家の血を引く四つの王宮は今日に至るまでその伝
統を維持している。

料理の得意だったハムンクブウォノ9世は、鴨肉のミンチにクドンドンソースをかけた料
理をお雇いヨーロッパ人シェフと一緒に生み出してzwaar zwiirと名付けた。また、一見
サテアヤムのようなシンガンアヤムもハムンクブウォノ9世の作である。


ジャワの王国では、王の地位と相伝物は切り離すことができない。王の子供がスルタンハ
ムンクブウォノの名を継ぐとき、神の啓示があること、相伝されたクリス「ジョコ・ピト
ゥルン」が手中にあることが絶対条件になっている。それが満たされていなければ、かれ
の名乗るスルタンハムンクブウォノは合法性のないものになる。

スラカルタとヨグヤカルタの同心円イデオロギーはその両方を世界の中心に位置付け、そ
れぞれの王はその調和を維持する役割を担っている。臣民の暮らしは王の意の中にある。
そのイデオロギーによって、王は王国領内のすべての土地の支配者となる。

そのような層をなす支配権によって、王は繁栄するのである。繁栄を永続させるために王
は貴族や家臣に対して忠誠コンペティションを行う。王は自分に忠実なる臣下に料地をた
まわる。その料地はその臣下の地位や役職に対して与えられたものであるため、その臣下
が待遇にふさわしくない人間だと思ったら、王はいつでもその料地を取り上げてしまう。

臣下はたまわった料地であたかも小王のようにふるまう。その土地を耕作したり利用した
りする領民に税高や貢物を定めて徴収し、百人を超える徴税人を使って税と貢物を取り立
てる。料地の主、すなわち領主は料地から上がったものの一部を王に貢いだ。忠実なる王
の臣下が料地から得たものを全部わが物にするのが大いなる矛盾であることは、言うまで
もあるまい。その大量の貢物が王宮の文明文化の花開く基盤になった。[ 続く ]