「ジャワ島の料理(19)」(2021年11月30日)

現代の中部ジャワで一般のジャワ人が催す祝い事の場を訪れてみればよく分かる。ベセッ
besekと呼ばれる竹編みの箱に入っている食べ物は、飯・野菜・おかず・果物・時には菓
子パンや肉入りパンまでがあって、内容物がジャワの伝統料理だけで占められていない様
子をそこに映し出している。

そこに入っているのは、焼きそばまたはビーフンにチャプチャイ、肉のルンダンやカリあ
るいはサテ。なんと中国文化、インド・アラブ文化、ヨーロッパ文化がない交ぜになって
ベセッの中に収められているではないか。

結婚の宴ともなると、もう一段几帳面さがアップする。usdekが正しく実践されなければ、
後ろ指を差されることになりかねないのだから。いや、このウスデッはブンカルノのイデ
オロギーではない。客の食事に供する料理を出す順番のことだ。飲み物unjukan - オード
ブルsop - 飯dahar - デザートes - そしてお帰りkondur。このしきたりは明らかにヨー
ロッパ式の食事作法に由来している。

ヨーロッパ文化にはテーブルマナーがあって、いくつかのパターンがオーセンティックに
定められているものの、ジャワ人の文化にそんなものはなかった。飯の前に前菜を食べた
り、飯の後に甘いおやつを食べるのは、ひとの好き好きというものだ。


たとえば、中部ジャワの州都スマランの名物にlumpiaという食べ物がある。潤餅という文
字が示す通り、元々それは中国料理だった。つまり日本で言う「春巻き」だ。

ルンピアがインドネシア語文書の中で往々にしてlunpiaと書かれることがあるのは、潤の
福建語発音がlunであってlumでないからだ。だから現代標準インドネシア語としての正書
法はlumpiaであっても、語源に近付けた表記法を採るならlunpiaの方がよりスムースに潤
餅という文字にアクセスして行くことになる。福建人にとってはlunpiaの方が正式綴りに
なるにちがいあるまい。

19世紀末にチョア・タイユーという華人が中国からスマランに移住して来た。チョアが
パサルで潤餅の作り売りを始めたころ、そのパサルにワシッという名の女性が似たような
商品の作り売りをしているのを知った。だが、形は似ているものの、中身が違っていた。
チョアは豚肉とタケノコを入れていたが、ワシッはエビとジャガイモを使っていた。

ふたりは結婚して子供を作った。娘のチョア・ポーニオは両親の技術を受け継ぎ、スマラ
ンでたいへん人気のあるloenpiaの製造販売者になった。オランダ時代だったからルンピ
アはloenpiaと綴られている。

ルンピアスマランは中華料理の春巻きとそっくりだ。外観から調理方法に至るまで、中華
料理そのものと言える。ところが包まれている中身の具はジャワ人の舌に合わせたものに
なっている。味付けが甘いこと、ハラムとされている豚肉を使わず、だれもが食べられる
鶏肉やエビが使われているのだ。


2005年のコンパス紙に、チョア一族の話が掲載された。ルンピアスマランが誕生した
のはオランダ植民地時代だ。そのルンピアが人気を呼んで町の有名商品になると、チョア
一族の子孫がその商売を引き継いだのとはまた別に、たくさんの地元民から外来者までが
Loenpia Semarang Asliの名前で潤餅の作り売り商売に参入した。アスリには元祖の意味
もあるが、純正・純粋の意味もある。チョア一族が使えば元祖の意味になるわけだが、赤
の他人が使えば「真実スマランで作ったルンピア」の意味に解釈できる。元祖を偽称して
いることにはならない。

「えっ、スマランに出張?じゃあ、お土産はルンピアをお願いね。」
スマランでの業務を終えて、さて頼まれたお土産を買いに町に出たのはいいが、ほとんど
の大通りにルンピアスマランの店があり、おまけに道路沿いにもルンピアの作り売り屋台
が列をなしている。看板にはLoenpia Semarang Asliの文字。さて、どこで買えばいいの
だろうか。元祖を買うのがいいだろうが、すべてアスリを名乗っていれば、元祖かどうか
判断のしようがない。少なくとも美味しいのを買いたいが、どれが美味いのか・・・。
そうやって頭を痛めるひとのためにこの記事が書かれたようだ。[ 続く ]