「ヌサンタラの馬車(2)」(2021年11月30日)

大金持ちのカピテンムラユだからこそできたことだ。かれが華麗な馬車に乗って外出する
とき、ムラユ族のひとびとは自分たちの頭領に憧れと賞賛の目を向けた。毎週金曜日には
かれの馬車がモスクの表に駐車されていた。ヨーロッパ製の馬車は2頭立てで走るのが普
通であるところ、かれは一頭だけで走っていた。そして、それを理由にして馬車税を納め
るのを拒否したという話だ。

総督の馬車だけは6頭立てになっていて、その真似をすることは誰にも許されなかった。
馬の数の多少と馬車の飾り立ては持ち主の地位と権勢を世間に示すものであり、それは税
金高に反映された。高い税金を払っているということが、そのオーナーの格を更に高める
ものになった。

18世紀のバタヴィアの街中を140台を超える馬車が走っており、その大半は2頭の馬
に引かせた二輪のヨーロッパ製ベルレインberlijn型コーチだった。四輪コーチは8台し
かなかったそうだ。18世紀のバタヴィアはまだ城壁の中の旧市街であり、ダンデルスが
造った新バタヴィアの中心ヴェルテフレーデンがそこに含まれていないことを忘れてはな
らない。


17世紀には婚礼や洗礼の祝事があると、馬車の行列がバタヴィア市内を賑わした。結婚
する新郎新婦が着飾って美しく磨きたてられた馬車に乗り、その後ろを大勢の親族友人た
ちが馬車を連ねてカスティルに向かったのである。カスティル内の教会と市民登録役所で
結婚と登録の手続きを行うためだ。

カスティルに入るためには、カスティルの南ゲートに当たるアムステルダムゲートに向か
う儀典道路であるプリンセンストラートが最終行程になる。今のチュンケ通りJl Cengkeh
が往時のバタヴィア城市内における最高儀典道路だった。運河をまたぐ橋を渡ってカステ
ィル内に入るわけだが、馬車の行列が橋を渡る間、他の通行者はそれが通り過ぎるのを待
たなければならない。市内最重要地点での交通に障害が起こるわけで、モッスル第28代
総督のときに、行列を組んだ馬車の数だけ課金を払わせることにした。教会がその課金を
徴収した。

ところが、その課金が重くていやなひとびとは馬車行列を遠慮したが、会社の高位高官た
ちはそんな金額などへっちゃらとばかり、遠慮する気配はさらさらない。この評判の悪か
った慣習が相変わらず続けられたために、アルティン第32代総督が全面禁止にしてしま
った。

新郎新婦はふたりだけ一台の馬車でカスティルにやって来なければならなくなったのであ
る。ふたりを祝福する親族友人たちは馬車で一緒に教会にやって来ることができなくなり、
もっと早い時間に馬車で来て待つか、あるいは行列を組んで市内を練り歩いてから、途中
で馬車を乗り捨て、徒歩でアムステルダムゲートの橋を渡らなければならなくなったとい
うことらしい。違反者は罰金を命じられ、教会がその罰金を徴収した。

おまけにその時代には、新郎新婦が故意にゆっくりと町中を馬車で通過して豪華に飾り立
てた自分たちの晴れ姿をバタヴィア市民に見せびらかすことが流行し、教会での結婚式の
開始時間に遅れて来るのが当たり前になっていた。なにしろ金をかけてあつらえた豪華さ
を比較してその人間の格の高低が評価されていたのだから、金をかけて仕立て上げた姿を
バタヴィア雀たちにじっくりと見せないでは結婚式の意味がなくなってしまう。

このオランダ人が作り出した財の消費と人間の高低に関するコンセプトは、現代ジャカル
タに受け継がれていまだに生きている。巨大汚職者が普段から贅を尽くした暮らしを世間
に示し、汚職摘発によって逮捕されても依然としてニコニコ笑っていられるのは、自分が
かき集めた富によって自分の人生が他人よりまさったものになっているという確信がある
からだろう。世に生きることにおける敗者が勝者である自分を刑務所にいれても、人生と
いうホライゾンの中での勝者敗者の立場が逆転するわけではないのだ。

だからこそ、汚職者の全資産をはく奪せよという声が現行制度の批判の中にしばしば出現
するものの、起訴された案件に関する資産の没収しか法的効力を持たない現行制度は、か
えって他の汚職で得た資産に対するみそぎの効果をもたらし、人生の勝利者としてのかれ
の確信をゆるぎないものにしているように見える。

金を持つ者が世の支配者になるという人類が選択した現代システムは、バタヴィア開闢以
来、ジャカルタの地で既に開花していたようだ。馬車は貴人となってそれに乗るために存
在している。馬車を引くような人生は負け犬のものだ・・・[ 続く ]