「ジャワ島の料理(20)」(2021年12月01日)

筆者は言う。昨今、ルンピアスマランは5つの流派が競い合っている。美味い不味いでな
くて、風味の差別化が行われているのだ。数多いカキリマ屋台は第5流派に属しているよ
うだ。
1.Gang Lombokの店。店主はSiem Swie Kiem
2.Jalan Pemudaの店。店主は故Siem Swie Hieの子供
3.Jalan Mataramの店。店主は故Siem Hwa Nioの子供
4.Jalan Pemudaの店から独立した旧従業員たち
5.上の1〜4とは無縁の、それらの店の商品を見倣って作るようになったひとびと

上記1〜3はチョア・タイユーとワシッの孫にあたる。タイユーとワシッの間には一人娘
のチョア・ポーニオができた、と上に書いた。チョア・ポーニオはSiem Gwan Singと結婚
してルンピアスマランの食品事業を続けた。その子供たちが事業を継いだ時、ルンピアス
マランの事業はチョア家からシム家に自動的に移った形になった。

1〜3に名前が挙がっているのはポーニオとグワンシンの子供たちであり、スイキムがグ
ワンシンから相続したガンロンボッIIの店だけが第三世代で、他のふたつは第四世代に変
わっている。


スイキムの店では、揚げルンピアと生ルンピアを一個6千ルピアで販売している。この店
のファンは、タケノコの臭みがなく、卵とエビにも生臭さがないのが良い、と語る。3X
4メートルの広さの店には入れ代わり立ち代わり客がやってきて、20個とか50個とか
を土産に買って行く。中には持ち帰りでなく、店先のベンチに腰掛けて数個を食べるひと
もいる。


プムダ通りの店はスイヒ―の娘、Siem Siok Lienが相続して、第四世代に代わっている。
プムダ通りの店の表にはンバ・リンの店という大きい看板が出ていて、人目をひく。この
店でルンピアは一個5千5百ルピアだ。かの女は既にパンダナラン通りに支店を出した。
ンバ・リンのルンピアにはアヤムカンプンが加えられている。最初はエビがアレルギーの
客にアヤムが良いだろうと考えて、ルンピアウダンとルンピアアヤム、更に豪華版として
ウダン+アヤムという三本立てをメニューにした。ところが豪華版のルンピアイスティメ
ワばかり売れるために、それの一本立てに変えてしまったそうだ。

注文を受けるとすぐにその場で皮に具を巻き、揚げルンピアなら即座に油で揚げる。客は
その間、出来上がりを待つことになる。出来上がると竹編みの箱ベセッに詰められる。酢
漬け野菜・チャベラウィッ・ヤシ砂糖の浸汁と生野菜が添えられる。


マタラム通りの店はホワニオの子供たちが引き継いだ。子供たちはスマランのあちこちに
支店を開き、ジャカルタにまで店を開いた。スマラン市内マタラム通りは現在MTハルヨノ
通りと名前が変わっているが、ルンピアの店が旧道路名に結びついているために、マタラ
ム通りのルンピア店と呼ばれることもしばしば起こっている。


中華料理の春巻きの実質にそんな中国とジャワの文化融合が起こったと同様に、スマラン
の西方にあるプカロガンPekalonganでも同じような現象を見ることができる。プカロガン
には世にも珍しい緑豆のグライがあるのだ。

インドネシアでは、たいていどこへ行こうが緑豆を煮たものはbubur kacang hijauという
ぜんざい風の甘粥になっているのだが、プカロガン県だけは肉を煮込んだスープ状のグラ
イに緑豆の具が使われている。地元のカンプンアラブがどうやらその誕生に影響を与えた
らしく、インド由来のグライとその食材としての緑豆という融合が起こったのだろう。
[ 続く ]