「ヌサンタラの馬車(4)」(2021年12月02日)

1990年代初めごろまでは、西ジャカルタ市のパルメラ市場近辺にいつも十数台のデル
マンが客待ちして道路脇に並んでいたものだが、2000年代に入ったころには5台ある
かないかという数に減ってしまった。パサルに集まって来るのは昔のベチャと同じ理由だ。

しかしベチャは都内交通行政にそぐわないものと都庁に断罪されて、最終的に殲滅されて
しまった。デルマンは都内交通機関のひとつとして承認されており、サバイバルは行政上
で保証されているものの、オートバイオジェッとの競争で圧倒されてしまい、これも滅び
の道をたどっている。


それでも、1990年代後半に地方から上京してきてデルマンの御者になる人間もいた。
中部ジャワ州プルウォクルトを故郷にするヤントさん32歳はストランを納めて馬車を運
行させる仕事をしている。これは2000年9月の話だ。

一日の収入は4〜5万ルピアで、そこから12,500ルピアがストランとして馬車のオ
ーナーに納められる。純益はだいたい3万ルピア程度だそうだ。昔、オジェッがまだ少な
かったころは純益が4万あったが、今やそんなことは二度と起こらない。馬の飼料は運行
者の負担になっているため、夕方にはたいてい草刈りに行くことが多いが、その暇がない
ときは草を三束7千5百ルピアで買う。

馬の飼料と言えば南ジャカルタ市のPasar Rumputがすぐに思い浮かぶ。スルタンアグン通
りの北側運河の向こう側は植民地時代に開発されたメンテン高級住宅地区である。高級地
区最南端の端っこであっても、高級住宅地区内であることには変わりない。

自動車よりも馬車がまだまだ一般的だった時代、高級住宅地区のお屋敷にはたいてい馬が
いた。馬の飼料は必需品だったから、馬に食わせる草を売る者たちが集まって来た。しか
し汚らしい風体のプリブミが草の束を抱えてメンテン地区内に入って来るのは、美観の上
から好ましいものではない。こうしてPasar Rumput(草市場)が誕生したというのがその
歴史だそうだ。

馬に飼料を食わせれば、排泄物が出て来る。食わせる飼料も出て来る排泄物も御者の物な
のである。この排泄物は園芸栽培の肥料として売れる。ビニール袋一杯で5千ルピアにな
った。


デルマンの御者たちの間で厳守されている不文律に、割り込み厳禁がある。やってきた客
が友人であれなじみ客であれ、客待ち列の先頭に自分がいなければ自分の馬車に乗っても
らうことができない。ましてや、別の馬車と競り合って客を自分の馬車に乗せようなどと
は、御者の風上にも置けない下司野郎ということになる。

デルマンは客を5人まで乗せることができる。一人当たり料金は5百ルピアで、最低4人
まで客が乗るのを待ち、それぞれの客の行く先を巡回することになる。一人二人の客でも、
空席の料金が保証されるなら、貸し切りで出発することもある。

祝い事にチャーターされる場合は、料金は一日7.5万ルピアだ。そのような機会に御者
は馬車を飾り立てなければならないから、7.5万ルピアはその費用が込みになっている
のである。


2008年ごろ、ラグナン動物園・ビンタロジャヤ住宅地・スナヤンのグローラブンカル
ノへ行けば、客待ちのデルマンが何台も並んでいた。以前はモナス広場にもいて、広場内
で観光馬車業を行っていたのだが、市当局が馬の排泄物の悪臭への批判に耐えきれず、観
光馬車を閉め出してしまった。

閉め出されたデルマン御者のひとり、ウディンさんは、2001年にモナス広場の観光馬
車業に参加した。90人を超えるモナスの御者たちは東ジャカルタ市プドンケラン、西ジ
ャカルタ市クマンギサン、中央ジャカルタ市スネンなどに住んでおり、週末をメインにモ
ナス広場まで観光馬車商売のためにやってくる。ウディンさん自身は西ジャカルタ市ジョ
グロに住んでいる。モナスへ来るようになる前は、南ジャカルタ市ウルジャミのスワダル
マラヤ通りとBNI住宅地の間で客を待っていた。[ 続く ]