「ヌサンタラの馬車(5)」(2021年12月03日)

やはりモナスから閉め出された御者のひとり、アスリさん51歳はクマンギサンに住んで
いるが、馬と車は20人あまりの御者仲間と一緒に、西ジャカルタ市スリピのゴルカル中
央指導部ビルの裏手にある馬小屋に置いている。

都内には全部で2百人ほどのデルマン御者が自分の考えに従った時間と場所で個別に営業
を行っている。行楽地で観光馬車業を営んだり、住宅地界隈でパサルや学校へ行くひとの
足になる。そのどちらにせよ、客のメインは子供たちだ。子供にねだられて、親も一緒に
乗る。


植民地時代から馬車稼業を営んでいたブタウィ人の子孫たちの中に、デルマンの御者を続
けているひとも少なくない。子供の頃から祖父や父親の仕事を見よう見まねで学び、手伝
ってきたかれらは、自分に金稼ぎの能は他に何もないからと言って、時代の潮流から外れ
てしまったその仕事を依然として続けている。

アスリさんの息子、ウウスさん21歳も、父親と同じ人生を生きようとしている。ウウス
さんはモナスで稼業を営んでいたころ、土日の二日間、朝7時から23時まで働いて30
万ルピアを得ることができた。割礼や結婚のチャーターだと、7.5万から10万ルピア
が報酬だった。

けれども収入をすべて人間の生活費に充てることはできない。馬も生きているのであり、
飲まず食わずでやっていけるはずがない。コンパス紙記者があちこちの御者から集めた情
報を整理すると、馬の食費は、米ぬか・草・ヤシ砂糖・モヤシ滓などの購入費として一日
5万ルピア程度になっていた。二週間に一度それとは別に、鶏卵・ミルク・ソーダで作る
精力飲料を馬に与えなければならない。

しかし先祖代々の御者稼業を今でも続けている家系とは異なり、工場労働者や物売りから
転職したひともたくさんいる。かれらの中には、地方から出稼ぎに来ていろんな職を転々
とし、現在は御者をやっているというケースもある。そんなかれらが馬車を自己資産とし
て持つはずがなく、オーナーにストランを納めて日々、他人の馬車を運行させているのだ。
このストラン制度を雇用関係と誤解してはならない。資本家が持つ資産を運用する労働者
という対等な立場でビジネスを行っているのだから。

モナスのデルマン御者だったスライマンさん(2008年当時37歳)は、日々の稼ぎは
1.5〜2万ルピア程度で、ひと月で30万ルピアくらいになったと語る。しかしそこか
ら毎週5千ルピアのストランを納め、また御者の組合にも週5千ルピアを納め、モナス運
営者に上納金を納め、更に毎日馬の飼料を出費するから、残った金で妻子を食わせるのに
かつかつの状態だったそうだ。

毎日モナス広場で営業するデルマンもちらほらといた。かれらが語る週日と週末の収入の
違いには実感がこもっている。モナス広場運営者は営業を希望する都内のデルマン御者に
許可制度を敷いて管理体制を整えていたものの、都内住民でないチュンカレンやボゴール
などからやってくるデルマンが無許可営業するのを管理しきれず、登録したデルマン御者
たちがそのしわ寄せを甘受しなければならなかった。

運営者が管理できないのなら、登録して上納金を納める方がバカになってしまう。だが、
登録してある立場というのは、何かいざこざが起こったときには強い味方になってくれる。
短慮は損慮の典型例と考えるプリブミを植民地根性と即断して良いものかどうか・・・
[ 続く ]