「自転車は風の車?(2)」(2022年01月11日)

ヴェロシペードに限らず、ヌサンタラにやって来たオランダ人がフランス語の語彙をオラ
ンダ語の中に織り交ぜて使い、プリブミがそれをオランダ語と思って取り込んだ言葉の例
はsopir(chauffeur)、trotoar(trottoir)、eselon(echelon)等々かなりの数に上っている。
フランスがヨーロッパ大陸の政治上文化上の覇権を握っている間、多数のフランス語がそ
の文化属国を経由して世界中にばらまかれた可能性は小さくないように思われる。

フランス人は今日現在に至るまで、ヴェロシペードのシペードを外したヴェロを自転車の
名称として使っているようだ。フランス人が捨ててしまったシペードという言葉がインド
ネシアに今も生きていることを知ったなら、フランス人はどんな顔をするだろうか?


インドネシア語のスペダについて言うなら、ヌサンタラの諸地方語を見ると、アチェ人は
keutangen、ミナン人はsepeda、ジャワ人はpit、スンダ人はsapedahなどと呼んでいる。
アチェ人のクタグンというのはkeureta angenを短縮した言い方であり、つまりはkereta 
anginと言っているのだ。

この「風の車」という詩的な呼び名は、自転車で走ると風を巻き起こしたり、あるいは風
の中を突っ走る感触があることから名付けられたと考えるインドネシア人が多くいて、ク
レタアギンという言葉が出てくるとそのような形容の修辞がよく付随しているのを目にす
るのだが、クレタアギンの「アギン」は風でなくて空気のことだと言う論説を呼んだとき、
わたしははたと膝を叩いた。

馬車や牛車の車輪は昔、木や金属だったから、人間が乗る場合の乗り心地はお世辞にもな
らないものだっただろう。その後、車輪の接地面にゴムの塊を貼り付けることで乗り心地
が多少とも快適になった。そして更には、スコットランド人ダンロップによって革命的な
変化が実現されたのである。1888年にダンロップは空気を充てんしたゴム製タイヤを
自転車の車輪に履かせた。それ以来、自転車は空気タイヤを装着して生産されるようにな
り、その特徴をとらえてムラユ人は自転車をクレタアギンと表現したというのがその論説
の内容だ。ロダアギンはもろにその点を衝いた表現になっているではないか。

日本語では「風」という言葉が常に気体の運動を指して使われるものの、インドネシア語
を含む諸外国語は「風」を意味する言葉で気体の運動並びに気体そのものを指して使って
いる。インドネシア人もどうやらanginを気体の運動と考えるひとがマジョリティを占め
ているようで、だからこそクレタアギンは風を巻き起こすイメージが最優先されているの
だろう。この風についての筆者の思索が「風とangin」(2021年01月22日):
http://indojoho.ciao.jp/2021/0122_2.htm
で論じられているので、ご参照いただければ幸いです。


女性たちも自転車を漕ぐようになって、自転車のデザインが男乗りと女乗りに分かれた。
ジャワ人はそれをpit lanangとpit wedhokと呼んだ。英語のbicycleはジャワ語のobahe 
sikilに由来しているのだとジャワ人は冗談を言う。オバヘシキルとは足漕ぎという意味
だそうだ。かつて一時期、会社で親しくなったジャワ人の友人は、ジャワ人は昔から英語
を使っていたのだとわたしによく冗談話を語った。その証拠としてbersilaのsila(ジャ
ワ語発音はシロ)は英語のsit lowに由来しているなどと三つ四つの単語の例を引いて説
明していたが、残念なことにシロ以外は忘れてしまった。

男はたいてい長ズボンや半ズボンで自転車に乗り、女乗り自転車が作られ始めると女はス
カートやガウンでも乗るようになった。インドネシアでは民族衣装であるカインやサルン
で乗るひともあった。インドネシアでサルンは男女両用であり、女性がサルンで乗るくら
いだから、男性もサルン姿で乗った。今でもバリ島では、男性がサルン姿でオートバイに
乗っている姿を当たり前のように目にする。ジャカルタでわたしは、男にせよ女にせよサ
ルン姿でオートバイに乗るインドネシア人を見たことがなかったから、バリ島で初めてそ
れを見たときには驚かされた。バリ島でもっと驚いたことは、ビキニ姿の白人女性がオー
トバイに乗って街中を走り回っている姿だ。コロナ禍のここ数年、その風景は今や過ぎ去
った夢の日々となっている。[ 続く ]