「自転車は風の車?(4)」(2022年01月13日)

行政者以外にも宗教機関の要人やビジネス組織の上位者などだけが使うものとされて、自
転車はおのずからステータスシンボルとなっていた。自転車が世の中に一般化する前の時
代、オランダ製Gazelleブランドの自転車は一台が黄金1オンス相当であり、ヨーロッパ
人ですら一般庶民は中古車が廉く放出されるのを待つしかなかったのである。Gazelleの
発音は多分ハゼラに近い音だったように思われる。

このハゼラは1902年から高級商品として生産が開始されたもので、頑丈な車体と快適
な走行を運転者にもたらす諸機能の高い完成度を持っており、数世代にわたって使われ続
けることを可能にしてきた。インドネシアで、骨とう品的な自転車を乗り回すサイクリン
グ愛好者にとって自分が持っているハゼラは自慢の種であり、「ハゼラは頑丈で、ペダル
漕ぎがスムースこの上なく、坂道を上るのも楽だ。」とそのひとりは絶賛している。かれ
の持つハゼラ・シリーズ11は今、市場で1千数百万ルピアの価格が付いている。

かれら古い自転車の愛好者たちは全国各地で同好会を結成し、高価な昔の自転車を使って
自転車のある生活をエンジョイしている。1960〜70年代に自転車が庶民の交通機関
として一世を風靡したヨグヤカルタにも、十近いクラブがあるそうだ。

古い自転車の愛好者たちにいまだに人気の高いブランドとして、ハゼラの他にもRaleigh
やFongersにしばしば脚光が当たる。ロリーはイギリスのノッティンガムのロリー通りに
作られた工房で1887年に生産が開始された自転車であり、最初は一週間に3台という
生産量だったそうだ。フォンガースはオランダのフロニゲンで1884年から高級自転車
として生産が開始されたが、1910年以降は普及価格帯商品も併せて作られるようにな
ったらしい。

ヨーロッパ製ばかりでなく、米国製Unionも1899年に作られたものがまだインドネシ
アに残されているし、タンデム走行自転車も1890年に作られたものがインドネシアに
ある。イギリス軍落下傘降下部隊用に作られて第二次大戦の中で使われたユニークなイギ
リス製BSA Airborneもある。落下傘降下兵がその折りたたみ式自転車を身体に縛り付けて
降下し、地上に降りてからの迅速な移動のために使った。この自転車は7万台が生産され、
現存するのは世界中で百台程度しかなく、そのうちの4台がインドネシアにある。


往時のそのように高価なステータスシンボルである自転車を普通のプリブミが使っている
と、人種いじめの標的にされずには済まなかっただろう。現代インドネシア人作家が書い
た短編小説に、そんな人種差別の話が登場する。

ある心優しいヨーロッパ人が下男にしばしば自分の自転車を使わせていた。地方に住んで
いるそのヨーロッパ人の親戚が訪れて、プリブミの下男がかれの自転車を使っていること
を知った。プリブミであるにもかかわらず、その下男はオランダ人のような白い上下服に
靴を履いて自転車に乗っていた。「犬とインランダーは立ち入り禁止」という人種差別が
当たり前のその時代、心穏やかでない親戚は心優しいヨーロッパ人をとがめた。それは反
社会的行為になるのだと言う。

支配者であるオランダ人だけがそのステータスを示している行為を被支配者が行えば、世
の中はひっくり返る。世の中の秩序を保つためには、そんなことをしてはならない。それ
はオランダ人のためばかりか、オランダ人を助けているプリブミのプリアイ階層のために
も必要なことなのだ。一般庶民プリブミがオランダ人のような服装をするだけでも、プリ
ブミ支配層のステータスを破壊することになるのだ。プリアイ層を侮辱するようなことを
してはいけない。

その人種差別観は日本軍が東インドを占領してオランダ人を最下層人種に落としたことで
払拭された。しかし自転車に関するかぎり、日本軍より先に自転車の黄金時代がやってき
ており、その黄金時代にはプリブミ一般庶民も白い上下服に靴を履いてバタヴィアの街中
を人間の波のように流れていたのだ。自転車はそれ以来、上位階層のステータスシンボル
から下位階層のステータスシンボルへと、没落の道を歩み始める。[ 続く ]