「ピクランとグロバッ(1)」(2022年04月07日) 毎夜23時ごろになると住宅地の路上を、屋台車を押して通る者がいる。その男は少し間 を置きながら独特な声音で叫ぶのだ。「テ〜、サテ〜」 屋台の下にはトタンの切れ端が取り付けられていて、それが地面に接触してジャラジャラ と音を立てる。男はマドゥラ人だ。食べ物作り売り巡回販売は古い昔からインドネシアで ありきたりのものだった。そこにはエキゾチシズムが流れていた。 インドネシアに住むようになった外国人たちは、深夜や早朝に聞こえる巡回食べ物売りの 叫び声に驚く。どことなくいかがわしいこの異郷の地には、何やらおどろおどろしいイメ ージがまとわりついている。それが自分の身近に人間の悲鳴になって出現したのだ。 何か異変が起こったのだろうか?たいていの外国人はおそるおそる家の外に出て叫び声の 正体を確かめる。静かで穏やかな星空の下、煌々たるペトロマックランプを輝かせながら、 屋台車を押してひとりの男が森閑とした路上を通り過ぎようとしている姿があるだけだ。 そのシーンは外国人の好奇心をかきたてるに十分なものだった。 そのシーンに関する説明をだれかから聞いて理解した外国人は、別の日に陽が落ちてから 聞こえてきた物哀しい呼び声にもう驚かなかった。「カ〜チャ〜ン、ブ〜ス!」 おお、あれもインドネシアの風物詩kitchen going aroundだ。 ちなみに「カ〜チャ〜ン、ブ〜ス!」はkacang rebusと言っているのだが、日本人の耳に は「おまえの奥方はブスだ!」と悪口を言われているように聞こえたという笑い話がある。 茹でピーナツは油が使われていないだけ、いくらでも食ってしまうという怖さがある。 外国人たちがインドネシアでの生活体験を故郷に報告するとき、まず間違いなくこのエキ ゾチックな習慣が取り上げられた。こんなユニークなものはかれらの文化環境の中に存在 しないのだから。 食べ物売りの叫び声はだんだんと外国人を驚かさなくなり、反対にかれらは好奇心からそ の「さまよえる台所」の客になってしまう。かれらが標準的に持っている衛生観念に照ら せばきっと二の足を踏む食べ物になることは大いに想像が付くというのに、かれらの中に はずぶずぶとこの「さまよえる台所」の世界に足を踏み入れていく人間が含まれている。 そして食べ物作り売り屋台が提供するブブル・グライ・ソト・ルジャッなどへと嗜好を広 げて行くのである。インドネシアという土地にやってきたかれらがその地で行うゴーイン ターナショナルがそれなのかもしれない。 一時期はgerobakと呼ばれ、最近ではangkringanという名まで得た二輪屋台車の出現する 前の時代には、「さまよえる台所」の簡易形式を人間が担いで巡回していた。そのころ、 巡回物売りはありとあらゆる売物を天秤棒の前後に吊り下げて歩き回っていたのである。 野菜果実や農産品、家庭用雑貨品から玩具、そして既成の食べ物。1930年代ごろのバ タヴィアの風景を撮影した動画を再生して見ると、年齢的にはまだ幼いプリブミ少年が雑 貨品を天秤棒の荷台に満載して担ぎ歩いている映像が出現する。 更には鍋とコンロ、および料理の素材を積んで町中に出て来る食べ物作り売り販売者もい た。商店街表の歩道沿いで、食べ物作り売り商人がその場で火をおこし、料理した食べ物 を客に供している姿も映像の中に見出される。[ 続く ]