「ソトの世界(1)」(2022年04月13日)

sotoはインドネシアの国民料理だ。2018年にインドネシア政府が決めた5種類の国民
料理のひとつに選ばれた。他の四つはナシゴレン・ サテ・ルンダン・ガドガドである。

たしかにこの料理はヌサンタラの全国にバリエーションがあって、各地の地名を冠した名
前で親しまれている。有名どころだけでもBandung, Bogor, Betawi, Semarang, Surabaya, 
Madura, Solo, Kudus, Lamongan, Yogyakarta, Padang, Makassar, Banjar等々、すぐに
長いリストができあがる。

共通している特徴は、ブイヨンと一定の基本ブンブが使われた汁料理であり、具はモヤシ
からエビフライまでたいていのものが合うから、ブンブのバリエーションと具のバリエー
ションによって数えきれないほどの種類が容易に生み出される。


ソトが国民的料理であることを証明するシーンはしばしば訪れる。会社や一族の祝祭で宴
を開くとき、料理は何を出そうかという相談が容易に収束しないことがある。スンダ料理
がいい。グドゥッだ。いやマナド料理だ。・・・・

頃合いを見計らって採決者が、「なかなか決まりそうにないから、ソトにしよう。」と言
って収めてしまう。「いやあ、ソトなんかじゃあ云々」と固執するひとは滅多にいない。
無難な線ということで話がまとまってしまうのだろう。

あるいは十数人が集まって会合を開こうという話になったとき、会合場所はどこがいいか、
という話で揉めることもある。みんなが頭や首をひねって考えているとき、中のひとりが
「ワルンソト!」と叫んだら、だいたいそれで決まってしまうという寸法だ。


英語ウィキぺディアには、インドネシア人にとって肉のブイヨンで作ったヌサンタラの伝
統食スープがソトであり、一方、歴然とした外国文化の産物であるスープをかれらはsop
と呼ぶという解説が見られるが、sop kaki kambingやsop iga, sop baksoなどにもsopの
語は使われていて、厳密な定義付けは難しい。KBBIのsotoの語義には、汁だけが別に
作られ、具の肉・ジャガイモ・炒めバワンなどは供される少し前に汁と合わせられる料理
と記されている。これもソトのひとつの特徴だろう。

そもそもインドネシアのソトの外見的印象は、種々たくさんの具に汁をかけたものという
ようにわたしには見える。つまりラーメンのようなもので、固形の食品に汁をかけて食べ
るというコンセプトだ。一方、西洋料理におけるスープの印象は液体食品であり、固形の
具が入っても長時間煮込まれて、その一部が液体の中に溶け込んでいる、というコンセプ
トなのではないだろうか?

そう書いていると、かつて体験した記憶がよみがえってきた。昔わたしがKLM機に乗っ
た時、エコノミークラス乗客に「Soup or ice cream?」と言いながら白人スッチーが夜食
を配っている事態に遭遇したのだ。こんな夜中にスープを食わせるのかと訝しみながら抱
えているトレーをよく見たところ、スープと言っているのはカップヌードルだったのであ
る。

ともあれ、インドネシア料理はソトもソップも具が大量に入っていて、汁はその具を食べ
やすくする円滑機能を果たしているようにわたしには感じられる。ソトの汁を「食べる」
ことを重視するひとがいても全然構わないのだが、具たくさんのソトを前にして「さあ、
汁を食べるぞ!」と食欲を燃やすひとが本当にいるだろうか?


ソトがどうして国民大衆に愛される料理になったのか?ソトという料理が持っている良さ
について、スマラン住民のひとりはこのように分析した。ソトは完全食である、とかれは
言う。温かいブイヨンの汁、そして実だくさんの具が多種類ひしめきあっているのを飯と
一緒に食べる。おまけに高級レストランから巡回物売や道端ワルン屋台まで街中のいたる
ところで売られていて、低所得階層にも食べる機会が潤沢に開かれている。つまり値段が
廉いということだ。

それに加えて、ソトは朝昼晩のどの食事にもフィットする。言い換えるなら、ソトの作り
売りをしていれば、一日中客が来るということになる。ソト販売者は勤勉であるかぎり、
十分に家族を養っていける下地を備えているということでもある。

別の主婦は、台所のあらゆる素材がソトに使われている点がバソbaksoよりはるかに良い、
と評した。ニンニクからスレーまで種々のブンブが使われる。バソの味はソトと対照的に
まったくシンプルだ。それはソトが飯のおかずとして食べられるものになっていて、バソ
が軽食として食べられる点と根本的に違っているためだろう。[ 続く ]