「意思疎通と言語の限界」(2022年04月21日)

ライター: ある出版社の編集者、パムスッ・エネステ
ソース: 2005年6月11日付けコンパス紙 "Sebelum Makan Siang"

「じゃあ、昼飯前に会おう」とか「昼飯後に・・・」といった約束をふたりの人間がして
いる場面をきっと誰しも見たことがあるだろう。その会話をじっくり吟味するなら、内容
が曖昧なことに気が付くはずだ。曖昧なポイントはふたつある。「昼飯」そして「誰の昼
飯か」という点だ。「昼飯」は何時に食されるのか?決まっていない。誰もが同じ時間に
昼食を食べるわけではないのだ。11時、11時半、12時?いや、12時半や13時に
昼食を摂るひとだっている。更に、ふたりの約束した昼飯とはAさんの昼飯のことなのか、
それともBさんの昼飯なのか?もしも「昼飯前」という約束だったなら、このふたりの昼
食時間が同一でなかった場合に、約束通りに両者が昼飯前に会うことは可能になるだろう
かという疑問すら湧いて来る。

「昼飯後」になったところで、曖昧さは消えない。その昼飯が依然としてAさんのものか
Bさんのものかはっきりしないのだから。そんな曖昧なものごとを規準にして行動してい
ては、正しく成果を上げることができるのかどうか、はなはだ疑問に思えてくる。

会う約束をするときに、もっと効果的なやり方がある。時刻を規準に採るのである。「昼
飯前」などと言わないで、10時半、11時、11時半などを使えばよい。同様に「昼飯
後」の代わりに、14時、14時半、15時などとすればよいのである。

一部のインドネシア人が持っている「時」の概念はしばしばルーズに感じられる。つまり
曖昧なのだ。明確な一時刻に集約せず、ぼやけているのである。いや、意図的にぼやかせ
ているのかもしれないが、それはともあれ、その要素がかの有名なインドネシア人のゴム
時間jam karetを文化的に下支えしている要因のひとつだろう。


昼飯の話ついでに、ガドガドワルンでの面白い話をしよう。客が注文すると、ガドガド作
りはいつも客に尋ねる。「ガドガドは辛いの、それとも辛くないの?」

辛いか辛くないかはガドガド作りが使うトウガラシの数に関わっている。客の答えはたい
てい三種類。「辛いの」「普通」「辛くないの」

ガドガド作りと客の間に辛さのレベルの合意が存在しているだろうか?ないに決まってい
る。ガドガド作りの「辛い」のレベルが客にとって本当に辛いかどうかはわからない。マ
ナド人やバタッ人の「辛い」とジャワ人やスンダ人の「辛い」は一致しないのが普通だ。
「辛い」「普通」「辛くない」はきわめて相対的なのである。

本当は、ガドガド作りはトウガラシの数を客に言わせればよいのだ。ガドガド作りにとっ
てはそのほうがはるかに仕事がはっきりして都合が良いのではあるまいか?「ガドガドは
辛いの、それとも辛くないの?」と言わないで、「トウガラシは何個にする?」と尋ねた
ら、客は「X個」と答えざるを得ないではないか。


食べ物・誰かがきれいかどうか・シネトロンや映画ドラマなどに関するコメントの中でし
ばしばわれわれが耳にする言葉にlumayanがある。ルマヤンとはどういう意味なのか?

食べ物についてであれば、「美味しい」でもなく「美味しくない」でもないことを述べて
いる。だから「美味しい」と「美味しくない」の中間を意味しているのだ。

きれいかどうかについてなら、ルマヤンという言葉はきれいでないとはいえ、醜くもない
という意味だ。だから「きれい」と「醜い」の中間なのだ。演劇の類についてのルマヤン
なら、それは「素晴らしい」でもなく「ひどい」でもなくて、その中間を指している。つ
まりルマヤンはインドネシア語sedangの同義語であると言える。

2001年版KBBIはそれを裏書きしている。888ページのlumayanの項には語義の
ひとつにsedangが記されている。


インドネシア語の中には、意味が曖昧ではっきりしない語彙や句がある。インドネシアの
高官たちがどれほどこんな文を述べていることか。
Untuk menghindari hal-hal yang tidak diinginkan, bla bla bla...

tidak diinginkanが意味する、望んでいない主体者とは誰のことなのだろうか?
hal-hal yang tidak diinginkanとは何のことがらについて言っているのだろうか?

一部のインドネシア人は意味の曖昧な言葉を好むと言われている。そうすることで、もし
もhal-hal yang tidak diinginkanが発生したときに言を左右にすることが可能になる。
高官はきっとこう言うだろう。「ああ、わたしの意図はそうじゃなかったんだ。あなたは
意味を取り違えている。」

だから高官が記者にこんなことを頻繁に述べるのはまったく不思議なことでない。「わた
しはそう言わなかった。それはあなたの解釈だ。」
hal-hal yang tak diinginkan が起こらないよう、わたしの話もここまでにしよう。