「ヌサンタラのインド人(7)」(2022年05月05日)

南インドの商人たちにとって、マルク地方のスパイスだけが商売のタネだったのではない。
タミルの商人たちはスマトラへ樟脳や安息香を求めてやってきた。樟脳はインドネシア語
でkapur barusとなっている。ムラユ語源のkapurだけだと石灰を意味しており、地名Barus
を付けてはじめて樟脳の意味になる。

地名バルスが付いたのはスマトラ島北部西岸にあるバルスの港が樟脳の輸出港になったた
めであり、そこが太古から樟脳をはじめとする香料やスパイスの集散地になっていたから、
その名称が流通するようになったのだろう。

樟脳はkaras(学名Aguilaria mallaccansis又はCinnamomum camphora)という木の樹脂だ。
この樹はスマトラ・カリマンタン・マラヤ半島の熱帯林の中に生える。中国でも成育する
が、樹脂のクオリティは熱帯林のほうが高いとインドネシア人は書いている。人間は太古
からこの樹脂のことを知り、樟脳と樟脳油を重要な商品に位置付けていた。


樟脳採集者は熱帯林に入ってカラスの木を見つけると手あたり次第に伐り倒してから木の
樹脂を探した。樹脂を持っている木は多分1割もなかっただろう。樹脂を蓄える前にたく
さんの木が伐採されれば、収穫量は低下の一途をたどる。木自体が希少なものになってい
くのも当然だ。長期の間に需給関係に激しい乖離が起こり、樟脳の価値は大きく上昇して
いった。

人類がいつごろから樟脳を使うようになったのかについての記録は何もない。中国語ウィ
キペディアには、西暦6世紀ごろアラブで樟脳の加工方法が発明されたことや、中国にと
っては台湾が樟脳の大産地であったことが記されていて、アラブ人にとってはカプルバル
スが大切な物資だったのだろうが、中国人にとってカプルバルスはそれほどの垂涎もので
はなかったように思える。

中国史書に書かれた南海に関する諸事項の中で、マラヤ半島の狼牙修Langkasukaの物産の
中に婆律香というものがあることが隋書の中に記されていて、どうやらそれが最古の記録
のようだ。婆律は中古音でブアリュという音になり、Barusの音写という雰囲気が感じら
れないこともない。この現代中国語で婆律poluと発音される言葉は実際には龍脳を意味し
ていて、樟脳とは似て非なるものとされている。

9世紀の酉陽雜俎yuyang-tsa-tsuにも「龍脳香樹,出婆利國,婆利呼為固不婆律」という
記載があって、固不婆律ku-pu-po-luがkapur barusの音写だろうと論じるひともいるのだ
が、中古音発音はクオピウブアリュであるため、音感覚では現代中国語発音よりも類似性
が低下するような感触がある。華人が龍脳と書いているものが樟脳ではないかという疑念
はやはり首をかしげざるを得ない気がする。

ちなみに婆利國とはカリマンタンのブルネイ又はインドネシアのバリ島のことと中国語百
度百科に説明されている。


北スマトラ州西海岸のバルス港はアチェとの州境から35キロほどの距離にある。トバ湖
との距離はその倍近い。16世紀ごろまで、バルス港の主要輸出産品はカプルバルスだっ
た。樟脳の主要産地はSingkel川の上流にあり、採れた樟脳は川を下ってシンケルの町に
運ばれ、シンケルから陸路を通ってバルスに送られて来た。

シンケルは現在のアチェ州Singkil県の県庁所在地で、北スマトラ州との州境まで40キ
ロほどの距離にある。シンケルは入江にあり、またバルスからずっと南のシボルガは奥ま
った湾内にあって、平坦な海岸にできたバルス港は港としての条件が段違いに劣っている
というのに、西方のインド・ペルシャ・アラブからやってくる商船はそれをものともせず
にバルスを目指してやって来た。[ 続く ]