「ワルン(5)」(2022年05月06日)

インド系の種族名がひとつの勢力にならなくなってしまったのは、インド系プラナカンた
ちのマジョリティが遠い昔から母方の文化の中に自らを帰結させてしまったからに他なら
ないようにわたしには思われる。これはヌサンタラの全土で一様に見られる現象だ。華人
系やアラブ系との顕著な違いがそこに感じられる。

それに反して、タミル語のクダイが現在までも人種種族を問わず一般語彙として優勢な地
位を保っているのはひとつの壮挙と言えるにちがいあるまい。ただし言葉はそうでも、メ
ダンのひとびとがクダイコピと呼んでいる店に入って見ても、インド文化の雰囲気はどこ
にも見えず感じられもしないから、クダイという語感にインド文化を絡ませて抱いている
メダン人はもういないのかもしれない。

そのクダイが日常語の中で頻繁に使われていたのは1980年代ごろまでだったそうだ。
その後勢力は衰えて、ワルンの語を使うひとが増加した印象になっている。とはいえ、依
然としてまだ日常語の中に生き続けていて、自分はワルンの語を使うがクダイと言われて
もすぐに意味が分かるというような状況になっていると推測される。


華人が呼ぶコピティアムは漢字熟語「ロ加ロ非店」の福建語での発音である。シンガポー
ルやマレーシアでもKopi Tiamの看板は至るところで目にすることができる。華人のライ
フドリンクである茶を飲ませる店はTeh Tiamと言う。つまり「茶店」だ。

コピティアム自体は多分、ヌサンタラに移住した福建人が茶の代わりに地元のコピを供す
る店を出したことが由来だろうと思われるから、文化融合が起こった一例と見て間違いあ
るまい。

ただし北京語でのロ加ロ非の発音kafeiはフランス語やスペイン語などラテン語系統の音
に似ている。おかげで、単に言葉が似ているだけの理由で中国語「ロ加ロ非」の語源はフ
ランス語だなどとまことしやかに書く人が出現するのだが、どうして現物の伝来という側
面を無視してそんなことが言えるのだろうか?主張者はどれだけ現物の伝来という面の調
査を行ったのだろうか。


まず、現物を介在させたムラユ語と福建語の関係は間違いないところだろうという気がす
る。一般的な中国語の語形成法の中に偏と旁で作られるものがあり、その場合の旁は発音
を示すケースが普通だ。ロ加の字の加の部分の福建読みは「ke」または「ka」になってい
て、「ko」という音はこの文字からだと出て来ない。ロ非は「pi」だから、ロ加ロ非とい
う文字は「kapi」と読まれるのが順当であるにもかかわらず「コピ」と読ませているのは、
現物と共に入って来た名称であるムラユ語「コピ」をその文字に当てはめたためではない
かという気がするのである。

一方の北京語発音については、加を旁に使っている文字はすべて発音が「jia」になって
いて、ロ加ロ非という文字は「jiafei」と読まれる方が順当である印象が強い。どうして
口偏をつけたものだけが「ka」という発音になっているのか?加を「ka」と発音するのは、
漢字の日本語音読みの元になった中国語中古音なのである。


中国語の諸資料の中には、ロ加ロ非の語源としてギリシャ語のkawehだとか、あるいはト
ルコ語のkahveだといった説が述べられている。いずれもがアラブ語のqahwaに端を発して
いるわけだが、シルクロードを介して中国の茶が西方へ、アラブ・トルコ辺りのコーヒー
が中国へという文化交差が起こったようなことを示唆する中国語記事もそれらの資料の中
に見受けられるのである。[ 続く ]