「ワルン(7)」(2022年05月10日)

シンガポールでもかつて、コピティアムの商標化を画策した者があった。ところがシンガ
ポールの知的財産権オフィスは申請を却下した。kopitiamの語は遠い昔からシンガポール
社会でだれもが使っていた言葉であり、特定の個人法人にその使用が独占されるべきもの
ではないというのが理由だった。

ジャカルタに住んでいるかぎり、kopitiam という名称は一般性のない特異なものという
イメージが強いとはいえ、昔、華南地方から大勢の華人が移り住んできたとき、福建系の
ひとびとが集まって居住地を形成したメダンやスマトラの海岸部、カリマンタンのポンテ
ィアナッなどではkopitiam が今やひとびとの日常生活の中に根をおろしている。ジョク
ジャにさえ、kopitiam の看板が街並みの一角に顔を覗かせている。

全国にいるkopitiam店経営者たちが作っているインドネシアコピティアム事業者ユニオン
が、商標権者とそれをバックアップしている政府に抗議してメダン地方裁判所商業法廷に
訴えを起こした。その訴えの内容は、Kok Tong Kopitiamという既存の屋号と商標権を与
えられたKOPITIAMは類似性がないという主張だ。

それに対して法曹機構は、一貫して類似性があるという判決を下した。最高裁まで持ち上
げられた一連の訴訟は、すべて告訴側の敗訴に終わったのである。2013年3月に下さ
れた最高裁判決では、一般名称に商標権を与えた行政の行為に関して5人の判事団の意見
が割れたものの、類似性がないという主張はそこでも否定された。政府がコピティアムに
与えた商標権の効力はゆるぎないものになった。

その結果、商標権者が出しているコピティアムの店を除いて、街中にあったコピティアム
の看板が一斉に姿を消した。シンガポールへ行けば、たいていのコピティアムで供されて
いるバターコーヒーでカヤトーストを食べることさえも、インドネシアではコピティアム
の看板を探すだけでは見出せないことになってしまったと嘆くひともいる。

ちなみにバターコーヒーというのはコーヒーに練乳とバターを加えたもので、インドネシ
アではkopi mentegaと呼ばれるが、華人は牛油口加口非gu you kopiと呼んでいる。この
発音も北京語ではないので、為念。


ラポはラポトゥアッのイメージがあまりにも優勢になりすぎ、非バタッ人の、中でも主に
ムスリムインドネシア人の頭の中に、ラポはハラルでない飲食物を供する店というイメー
ジがしみ付いてしまった。

しかしラポ本来の意味はワルンと同じなのである。だから、ミナンカバウの地、西スマト
ラ州に接する北スマトラ州マンダイリン県ナタルにはLapo Lamak Seleroという看板を出
しているワルンがある。lamak saleroというのはenak seleraを意味するミナンカバウ語
だ。強いイスラム精神を持つミナン人を客にしようとしているこのラポで非ハラルの飲食
物を販売するわけがあるまい。


さて、メダン住民の中でメジャー種族のトップになっているジャワ人たちはワルンコピを
設けず、そんなふしだらな場所でノンクロンしようとしなかっただろうか?プリアイ層の
鞭の下から遠く離れたデリの地にやってきたかれらの先祖は、どうやらジャワの地に構築
された倫理観をかなぐり捨てたようだ。

ジャワ人は元々、市民生活を営むためにデリにやって来たのでなく、デリ農園の労働者と
してやってきた。かれらは農園内のバラックに住み、農園から街中へ出かけるような自由
は与えられなかったから、農園労働契約期間を終える前に街中での市民生活のありさまを
肌に触れて感じる機会はなかっただろう。

農園を去ったあと、貯えた金を持って故郷に錦を飾るためにジャワに戻って行った者たち
は別にして、戻らなかったひとびとがメダンの町に住み着き、その町の風習に合わせてワ
ルンコピを開いた。そのクオリティがクダイコピ・ラポコピ・コピティアムに劣っていれ
ば商売は敗北するのだから、この町に出現したワルンコピはわたしが1970年代にジャ
カルタで初見したものとはまるで違っていたはずだ。[ 続く ]