「ヌサンタラのインド人(11)」(2022年05月11日)

カンプンマドラス内テウクチディティロ通りの混みあった家屋の並びの間に開店している
トコカストゥリは通行人の目を引く。金属製の釜やランタン、水差しなどが積み上げられ、
また別の片隅にはさまざまなスパイスの棚があって種々の香りに満ち溢れている。この店
では実にさまざまなスパイスとブンブが販売されている。また焚く香も自ら調合して作っ
ており、市販されている一般のものとは香りが違っている。

店主は店の中に置いてある机の向こうに座り、その脇にはヒンドゥの神を祀ってある祭壇
が設けられている。店主のウィラ・クマレンさんはタミル人移住者の三代目であり、カン
プンマドラスで1948年に生まれてここで育った生粋のタミル系プラナカンだ。かれは
昔を回顧して物語る。

「この辺り一帯は昔、数軒の家と野原が入り混じった場所でしたよ。牛や水牛が至るとこ
ろにいました。今、密集住宅地になっているカンプンクブルは牛の水浴び場所でした。プ
ンジャビ人がたいてい牛を飼っていて、ミルクでヨーグルトを作ったりギーを作ったりし
ていました。そのころはどこの家でもミルク入りのカリを作っていて、わたしもほとんど
毎日そのカリを食べていました。
60年代に入ってから、あっという間に様子が変わりました。牛の水浴び場所にどんどん
家が建ち、牛の姿がどんどん見えなくなり、わが家の食卓にミルク入りカリはたまにしか
出て来なくなりました。反対に、ココナツミルクを使うムラユ料理が出て来るようになり、
今度はココナツミルク入りのカリになって、また復活しましたよ。」

同じ通りにあるインド料理店チャハヤバルの厨房で、インド系プラナカンの四代目という
マドゥ・マリニさんが忙しく働いている。さまざまなスパイスが入ったそれぞれの茶碗の
中身が火の上で煮立っている大鍋に放り込まれる。そして種々の野菜がその後を追う。数
分後に火が消された。ベジタリアンカリができあがったのだ。さまざまなスパイスの香り
が鼻を打つ。味見をした記者は口と腹の中がホットになったにもかかわらず、それがトウ
ガラシのもたらしたものでないことに気付いて驚いた。さまざまなスパイスがほどよく調
合されていて、鋭い辣味になっていない。

「これがわたしたちインド系プラナカン風味のインドカリです。カリに使うスパイスはイ
ンドのものと同じで、インドにしかないものはマレーシア経由で取り寄せています。イン
ドやマレーシアのカリに比べたら、味がソフトでしょう。ミルクは使わないで、ココナツ
ミルクを使ってます。」マドゥさんはそうコメントした。これが、インドとムラユがメダ
ンで溶け合ったメダンのインドカリなのだ。


タミル人コミュニティ最大の祝祭がタイプサムと呼ばれるものだ。タイプサムはシンガポ
ールやマレーシアで観光イベントとして世界的に有名な行事になっている。だが、スマト
ラでも同じように行われているのだ。鋭利な金属で体中を刺し貫く苦行を行いながら街中
を歩く行列はタイプサムの添え物であり、この祭祀の本質はMurgaあるいはMurganと呼ば
れるヒンドゥの神を祀り、この神から祝福を受けるのが焦点になっている。ヒンドゥ教の
ムルガ神話はこんな話だ。

全宇宙にAsuraまたはAssuraがもたらした邪悪がはびこり、地上では正義や公平が絶えて
闇に閉ざされ、人間をはじめとして生きとし生けるものは苦難の中に投げ出された。アス
ラは鬼神であり、rakshasaと同一視されてイメージ作りがなされた。ラッシャサはインド
ネシア語のraksasaになって、ジャワ島でヒンドゥ聖所の門番にされた印象を受けるが、
アスラ自体の方は中国を経由して日本に入り、日本文化の中に摂取されて「阿修羅」とい
う観念になった。ラッササの概念はどうやら日本の鬼になったようだ。[ 続く ]