「ヌサンタラのインド人(13)」(2022年05月13日)

参加者は男も女も、まず二週間の断食をおこなってはじめてその苦行を行うことができる。
当日、かれらはシュリテンダユダバニで礼拝を行ってから全員がブシ川へ行って沐浴する。
それから僧が呪文を唱えながら参加者ひとりひとりの身体に苦行のための金属棒やフック
を刺していく。先のとがった長い棒で口と舌を刺しとおし、両端におもりを付ける。飾り
物のおもりが付いた金属フックを胸や背に刺して行く。

それが終わると、全員がシュリテンダユダバニ寺院まで1キロの道のりを徒歩で行進して
戻るのである。行進は太鼓と笛のリズミカルな音楽に付き添われて華やかに繰り広げられ、
たくさんの見物人が参加者と一緒に歩く。中には路上でタミルダンスを踊り出す見物人も
いる。

寺院に帰り着けば苦行は終わり、金属棒やフックがすべて身体からはずされる。神に受け
入れられ祝福された苦行者は、はずされたあとの傷から一滴の血も流れないと言われてい
る。

1880年にシュリテンダユダバニ寺院をチェティアヤ人が建てて以来、パングニウティ
ラムは毎年催されて来た。ところが、オルバ政府はこの祭事を禁止した。オルバ政権が倒
れたあとの1999年から、この祭事は再開されている。


アチェの州都バンダアチェにもタミル人コミュニティがある。市内ガンポンクダGampong 
Keudah地区にはタミル寺院Palani Andawerがあり、コミュニティにとって宗教祭祀の重要
な拠点をなしている。

パラニアンダウェル寺院に隣接する土地に宿屋を建てる話が2014年に持ち上がり、コ
ミュニティから強い反対の声が上がった。寺院を管理しているヒンドゥ僧のラダ・クリス
ナ氏はその問題について、「地所オーナーがそこを購入する時、そこにruko店舗住居を建
てるという話だったから、当方は何も不都合を感じなかった。それが今になって宿泊施設
を建てることになるのでは困る。宿泊施設は神聖な寺院周辺の風紀を汚す潜在性を持って
いる。」と表明した。

地所オーナーのアグス氏は2013年に宿泊施設の建築許可を行政側から既に取得してい
る。ただし、宿屋に関する事業許可も申請済みだが、その許可はいまだに下りていない。


西スマトラ州パダンのインド人コミュニティも毎年公の伝統行事を行っている。そのserak 
guloと呼ばれる催しを行っているのはグジャラート人コミュニティであり、タミル人では
ない。guloはミナンカバウ語でgulaのことだ。文字通り、砂糖をばら撒くのである。

グジャラート人コミュニティは1843年に、パダン市内の旧パダンのムアラ港に近い場
所にモスクを建ててMasjid Muhammadanと名付けた。その時期のグジャラート人集団が商
人だったのか、それともイギリス東インド会社の兵士だったのかは、まだはっきりしたこ
とが分っていない。

そのエリアは今日プチナンと位置付けられているが、パダンの町が出来上がって行った過
程で、異民族移住者が集まって住んだ地区だったように思われる。そのような町の多くは
たいてい華人が最終的に数で他の人種を圧倒したように見える。華人の力というのはたい
へんなものだ。[ 続く ]