「インド味の波(2)」(2022年05月24日)

インド文化の影響を受けた昔の食べ物を探す場合、いくつかの異なる土地で地元料理を前
にしながら想像を働かせる必要があるだろう。たとえばプカロガン・ウォノソボ・トゥマ
ングンの郷土料理である野菜やナンカの実の細切れ、ムゴノもそのひとつ。それらの地域
は中部ジャワの古い時代に興ったヒンドゥ王国であるカリンガの領土内にあった。

< ムガルスルタン国 >
15〜16世紀には、インドのムガル帝国からの影響がスマトラ島北端のアチェを経由し
てヌサンタラに入って来た。その時代、アチェとムガルの間で人間の往来があったのだ。
アチェはムガルに使節を派遣している。

アチェ王宮の儀式にムガルの宮廷で行われていたものとの類似性をわれわれは見出すこと
ができる。人類学者シュリーケは、ムガル宮廷の習慣がアチェ人の生活習慣に与えた影響
を列挙した。アチェ王宮の庭園設計、王宮の威勢と栄華を示すために象を使って行う大パ
レード、衣服のデザイン、飲酒、君主がバルコニーに立って民衆にスピーチする様式など
がムガルのもたらした影響だそうだ。きっと食の世界にも、ムガルの影響が見つかるだろ
う。

ムガルからもたらされたヌサンタラの食への影響として代表的なものは、ココナツミルク
の使用と辣みだ。その辣みについての説のひとつとして、ポルトガル人がインドにもたら
したトウガラシが使われ、それがヌサンタラに及んだという内容のものが見つかる。ポル
トガル人自身はスペイン人がラテンアメリカを征服したときに見つけたトウガラシをスペ
イン人から得て、それをアジアに持って来たというのがその背景として語られている。

しかしそれを否定する説もある。現代インドネシア語でトウガラシを意味するcabaiは昔
からインドにもヌサンタラにもあったという意見だ。サンスクリット語の中にcawiあるい
はcawyaという言葉が実際に存在しているし、古ジャワ語にもcabeやcabyaが存在する。と
はいえ、古ジャワ語のそれらはサンスクリット語が摂りこまれたものという見方が今では
優勢になっている。

ある辞典には、チャべの語は元々現代のトウガラシでなく、今チャベジャワと呼ばれてい
るものを指していたと記されている。piper cabaがそのチャベジャワだ。その辺りの諸見
解については、いまだ統一に向かう様子が感じられない。

< トルコとペルシャ >
terungという食用野菜はスマトラ島北部でたくさんの料理に使われている(訳注:テルン
あるいはテロンとは日本語でナスのこと)。これもムガルの影響のひとつのように思われ
る。ただし、ナスを使う料理は元々トルコからムガルに入ったものだったと考えるのが順
当だろう。ムガル王家の系図には、トルコとペルシャがその祖先に混じっていることが明
瞭に示されている。

だから、ムガルから来たためにインドが由来だとしてしまっては、根の浅い論が出来上が
るかもしれない。ムガルの歴代スルタンたちの先祖が持ったトルコやペルシャの文化がイ
ンドの文化と混じり合ってムガルの文化が形成されていたのであれば、ムガルの食文化の
中にトルコやペルシャのものが濃淡の差を付けながら溶け込んでいる可能性を軽んじては
ならないはずだ。ムガルスルタン国がインド=ペルシャ王国と表現されることがあるのも、
そこに根拠があるからだ。[ 続く ]