「ヌサンタラのお粥(11)」(2022年06月16日)

かれらの先祖はもちろんバンジャル人であり、1930年前後から、南カリマンタン州マ
ルタプラからソロにやってきた。目的はカリマンタンで採れるダイヤモンドをメインにし
た高額商品の販売であり、その時代にソロがたいへん潤った都会になっていたことがそこ
から分る。

例によって、同郷人がカンプンを作って住み、ムスリムだから地元の礼拝所を利用してい
た。1910年に建てられたその礼拝所でバンジャル人は断食月の集団ブカプアサのため
にブブルを作るようになった。外来者が地元に溶け込もうとするのは世のならいだろう。

滞在が長期に及ぶと地元女性を妻にして家庭を持つ者が増えて行く。当然、妻の実家との
往き来も起こるし、子供たちは地元民として育つ。そんな一家に文化の融合が起こること
になる。毎年ラマダン月に作られるバンジャル粥は、バンジャル人の血が混じったひとび
とにとって、たいへんシンボリックなものになったにちがいあるまい。

礼拝所は1965年に改築されてダルッサラムモスクになった。このモスクで今でもバン
ジャル粥が作られる。およそ35キロの米が粥にされ、マグリブのアザンが終わると15
0人分の粥が集まったひとたちの間で食される。その時、ミルクコーヒーが添えられる。
もちろん粥が150人分で終わるはずがない。まだまだ5百人分くらい粥はたっぷり残っ
ている。

アサルのアザンが終わると、近隣のひとびとがランタン・椀・ジャーなどを持って粥をも
らいにやってくる。中には、ブブルを作っている最中の真昼間に、ランタンやジャーを持
って来て委託するひともある。アサルのアザンの後で来ると長蛇の列ができているのだか
ら、遊んでいる器があるなら誰もがそうしたいだろう。クラテンやスコハルジョなどの遠
方からわざわざバンジャル粥を食べに来るひともいる。近郷近在どこの食堂でも売られて
いないものなのだから、だれでも一度は食べてみたいようだ。


このブブルバンジャルはメニューが二種類ある。ひとつはさまざまなスパイスを入れたsop
スタイル、もうひとつはシンブルなbumbu kuningスタイルで、三日間ソップ風ブブルを作
ると、次の三日間はブンブクニンのブブルを作り、その日程が断食明けまで繰り返される。
ソップスタイルは白米の粥にコショウ・ウイキョウ・カルダモン・クミン・コリアンダー
・ククイ・スレー・ショウガ・ナンキョウ・ナツメグ・ニンニク・ネギ葉・玉ねぎ・ニン
ジン・牛肉・牛乳が入る。ブブルブンブクニンには赤バワン・ココナツミルク・ウコン・
牛肉が入る。

大量のブブルを作るのは大仕事だ。12時に作り始めて、15時ごろ終わる。高さ1メー
トルの大鍋で粥が煮られるのだから、男の力が求められて当然だ。女性は洗ったり切った
りするのに忙しく、男は自主的に鍋と奮闘して汗を流す。

作るのは、バンジャル系の家族が協力して料理する。しかし3代目4代目のかれらはすっ
かり地元化していて、その大家族の輪の中に純血ジャワ人もたくさん混じっている。自分
の体内にバンジャル人の血が混じっているかどうかで、その仕事を手伝うか手伝わないか
を決める人間はどうやらいないようだ。

[Kanji Rumbi]
アチェのカンジルンビも脂飯のブブルになる。米粥はココナツミルクや肉ブイヨンを混ぜ
て煮るから、脂気たっぷりだ。さらにエビ、細切れ肉、ニンジン、ジャガイモ、ネギ葉、
さまざまなスパイスが粥といっしょに煮られる。[ 続く ]