「黄家の人々(16)」(2022年06月17日)

「あーあ、人間って難しいものだわ。」
「そんなこと言っちゃいけません。最初は難しいように思えても、いざやってみればあっ
さりと、なんてことはざらにあるんですよ。」
「そうかもしれない。でもわたしの場合は・・・ああ、なんて難しい・・・」
年増女はキムニオの耳に口を近づけてささやいた。
「亡くなったご主人のこと?」
キムニオは首を横に振った。年増女はもう一歩踏み込んだ。
「じゃあ、お嬢ちゃんを悲しませているのはあのひとのことかしら。この間やってきた・
・・」

キムニオは顔色を変えた。「だれ?だれのことを言ってるの?」
「馬車で来た・・・」

キムニオは立ち上がると、年増女の手を引いて自分の部屋に連れて入り、扉の鍵を閉めた。
「だれの話をするつもり?」

年増女はキムニオの反応に驚いたが、気を強く持ってキムニオと向かい合った。
「お嬢ちゃん、気楽に聞いてね。レヘントよ。」

キムニオはどぎまぎしてベッドの縁に座り込んだ。目は年増女から外れて、あらぬ方を見
ている。ふと気を取り戻したキムニオは年増女の手を引いて自分の横に座らせ、ささやい
た。「なんで判ったの?」

「レヘントが来た日から、お嬢ちゃんの悲しみがつのりだしたでしょう。だから、そうじ
ゃないかと思ったんですよ。」
「なんと目が利くこと、このおばさんは・・・」
「ほらご覧なさい。長いこと世間を渡ってきた年の功をおろそかにしちゃいけません。道
は必ず見つかりますよ。」
「だって、あのひとは華人社会の外のひとよ。一緒になるなんて無理なんだから。」
「お嬢ちゃんはあのひとを愛してる?」
キムニオははっきりうなずいた。

「じゃあ障害はなにもないわ。ムスリムだ、華人だ、なんて言ったところで、どこが違う
のかしら。同じ人間じゃない。お嬢ちゃんはイスラムのことをまだ知らない。イスラムは
とても神聖な宗教で、そのありがたみをもっとよく知れば、きっと聖地に詣でたくなり、
そして天国に行くことができる。
もしお嬢ちゃんがあたしを信頼してくれるなら、お嬢ちゃんの困っている問題はほんのち
っちゃな問題なんだから、あたしが必ずお嬢ちゃんの望みが叶うように手助けしますよ。
そう、お嬢ちゃんはあのレヘントとすごくお似合い。お嬢ちゃんがレヘント夫人になれば、
もう女王様です。ジャワ貴族の仲間入りをして、ジャワの民衆はみんなこのお似合いの夫
婦に最敬礼するでしょう。」
年増女の話をなかば呆然と聞いていたキムニオも、これまでの暗い悲観論が徐々に明るさ
を帯び始めたことを感じていた。年増女は明日また来ると言い、この秘密は絶対誰にも洩
らさないから安心するようにとキムニオを力づけた。キムニオは年増女の手にリンギッコ
インをひとつ握らせた。

それ以来、年増女はやって来るとキムニオにイスラムのさまざまな話をし、そしてキムニ
オとレヘントの間の手紙のやり取りの運び役を担った。

キムニオの日々の暮らしが生気を取り戻し、それどころかまるで青春を謳歌しているよう
な姿に変わったことを、両親は喜んだ。よく笑うようになり、全身がきびきびと動き、生
命感にあふれ、結婚前にもあまり見られなかった生きることへの自信が発散されているよ
うに思われた。

両親の不安の種がひとつ消えたのだ。ほとんど毎日やってきて、いつもたいていキムニオ
と一緒にいる年増女がどうやらキムニオにその変化をもたらしたようだということは一家
のだれもが感じたが、その中身が何であるのかということにまで興味を抱く者はいなかっ
た。[ 続く ]