「黄家の人々(19)」(2022年06月22日) ウイ・セはバタヴィアの華人街の中のパテコアンに土地を買って大きな家を建て、また商 売を再開した。プカロガンを敗残者のようなありさまで後にしたとはいえ、かれは商売に 失敗して夜逃げしてきたわけではないのだ。巨額の資金をバタヴィアに持って来たかれは、 プカロガン時代よりもっと規模の大きい商売に向かって邁進した。バタヴィアに新しい友 人知己もたくさんできた。 バタヴィアに移ったとき、かれはウイ・タイローと名前を替えた。とはいえ、たとえ名前 を替えたとしても、プカロガンでウイ・セの身に起こったできごとをバタヴィアの華人社 会がまったく知らなかったとは考えにくい。ウイ・セという人間に関する風評が伝わらな かったとは思えないのだ。おまけにウイ・セという人物を知っている者が、バタヴィア新 参ビジネスマンであるウイ・タイローと同一人であるのを発見したことも大いにあり得た だろう。ところが、ウイ・タイローはバタヴィアに移って数年後に華人オフィサーの役職 を与えられたのである。コミュニティ自身が馬鹿にして抑えつけたり排斥しようとする人 間をコミュニティの世話人に据えるようなことがもしもあったなら、とても正気の沙汰と は思えないはずだ。 プカロガンのウイ・セが無様な失態を世間に見せたとしても、そしてウイ・タイローと名 乗っている男がそのウイ・セであるということが暗黙の了解になったとしても、バタヴィ アにやってきたウイ・タイローという優れた商売人をそんなことで潰してしまうよりも、 その優秀さをバタヴィアの華人コミュニティのために貢献させる方がはるかに有意義なこ とだという意識がバタヴィアのコミュニティ上層部を覆っていたのではないかとわたしに は思われるのである。田舎の小さい華人コミュニティよりもバタヴィアは、はるかに成熟 した精神を持つひとびとによって運営されていたにちがいあるまい。 ウイ・セの一家がバタヴィア暮らしに十分慣れたころ、カチュンに手紙を届けに来た者が あった。カチュンの一度も会ったことのないプリブミが届けて来た手紙を開くと、「ババ カチュンのためになる重要な話があるので、ぜひ○○飯店までお越し願いたい。」と書か れていた。 カチュンは嫌な気がした。無視しようと思ったが、ちょっと気にかかった。「こりゃいっ たい何なんだ?何を企んでるんだろう?よし、まあこいつの意図を確かめるだけなら、会 ってみても悪くはあるまい。」 ○○飯店へ行くと、店主はとても丁重にカチュンを遇し、カチュンを招いた客のいる部屋 に案内した。部屋に入った瞬間、カチュンは目を見開いた。そこにいるのは、絶縁した姉 だったのだ。 「あんたがオレを呼んだのか。いったいどのツラ提げて・・・」 「チュン、あんたに会えてとてもうれしい。家族だもんね。まあちょっとここに座りなさ いな。」 「話って何なの?早く言ってくれ。オレは忙しいんだ。」 「ああ、カチュン、わたしが自分の家族を懐かしんでこんなに遠くまで会いに来たという のに、あんたはいつまでもわたしにそんなに邪慳にする。あんたには家族の情がないの? ひどいわ。」 泣き出した姉を見て、カチュンの心に同情が湧いた。 「母さんはわたしに手紙をくれた。母親の心ってそんなものなのよ。自分の子供が生きて いる限り、子供への愛情は途切れたりしない。わたしも自分の子供に会いたいわ。どう、 父さんも母さんも元気にしてる?みんなの顔を見たいの。手を貸してくれないかしら。」 「うちへ来たいのか?」 「できれば。あんたはどう思う?」 「やめた方がいい。あんたの顔を見たら、父さんは血へどを吐くだろう。じゃあ、こうし よう。今夜、母さんとリムを連れてここへ来る。ここで会えばいい。」 「やっぱり血のつながった弟だわ。姉さんはとてもうれしい。じゃあ、夜になったらまた ここで会いましょう。」 [ 続く ]