「黄家の人々(49)」(2022年08月03日)

かつてタンバッシアがレヘントの長男の割礼祝いのためにプカロガンを訪れたとき、プカ
ロガンの華人オフィサーが歓迎の宴を張った。そのときにスーキンシアはタンバッシアと
知り会っている。互いに若い者同士で談笑した記憶がある。人格高潔なバタヴィアのババ
チナとしてプカロガンで絶賛されているタンバッシアの評判と、バタヴィアの華人オフィ
サーたちが語る悪評芬々たるタンバッシアの像の落差に、かれは最初とまどった。だがタ
ンバッシアの良い評価を語る者に出くわさないことが、かれの目からウロコを落とすこと
になったようだ。自分の経済的社会的状態が良くなったら、一度タンバッシアの邸宅に挨
拶に伺おうと思っていたスーキンシアも、だんだんとその気をなくしていった。

タンバッシアもスーキンシアのことを忘れてはいなかったし、最近噂になっているバタヴ
ィア華人社会の新星がだれなのかも知っていた。彗星のように輝き始めたスーキンシアに
関する情報は逐一かれの耳に入って来る。スーキンシアが自分の敵である華人オフィサー
たちとの交際にどっぷりと浸かっていることがタンバッシアの気に入らなかった。まして
や、マヨールの婿になるとは。


ある夜、タンバッシアがアンチョルからトコティガに帰宅の途上でスーキンシアとばった
り出くわした。ふたりはその邂逅を奇遇として、旧交を温め合った。タンバッシアはスー
キンシアをアンチョルのビンタンマスに招いて酒を飲み珍味を食べ、そして女と遊んだ。
スーキンシアもタンバッシアに劣らない金離れの良さを示した。

しばらくの期間、ふたりは仲よく遊んでいたが、あるとき、スーキンシアがタンバッシア
一族の娘と遊んでいるという噂がタンバッシアの耳に入った。スーキンシアが未婚であっ
たなら、その娘をスーキンシアの正妻にしてやることに異存はない。しかしマヨールの娘
がスーキンシアの正妻になっているのだ。オレの一族から妾を出すなどとんでもない話だ。
ウイ・タンバほどの一族の娘はみんな正妻になるのが世間で当然のあり方であり、妾を出
すような恥さらしができるわけがない。スーキンシアめ、オレの顔に泥を塗ろうとしてい
るな?

どうやらそれはタンバッシアの思い過ごしだったようだ。スーキンシアにはタンバッシア
に仕掛ける意図などまったくなかった。男も女も独立した人格を持つ存在であり、自分の
身の振り方は自分が決める権利を持っている、というヨーロッパ風の人間観をかれは抱い
ていたから、単なる友人関係としてその娘と付き合っていたにすぎない。その娘が妾でよ
いからスーキンシアと一緒になりたいと言うなら、それを受けるだけの話だ。自分がその
娘を妾にしたいと思っているわけでは決してない。しかしタンバッシアの疑心暗鬼は留ま
るところを知らない。

スーキンシアは華人オフィサーたちと組んで自分に仕掛けて来ていると思い込んだタンバ
ッシアは、完全に自分の敵になったスーキンシアを冥土に送ろうと考えて信頼する三人の
チェンテンを呼んだ。スーキンシアの日々の行動をよく観察して、機会を逃さず冥土に送
れ。ほうびはこれまでなかったくらいのものを与える。しくじってはならないぞ。


スーキンシアの行動観察が始まった。何曜日は何時ごろ、どこを通ってどこへ行く。暗殺
行動を昼間行うのは難しいから、夜ひとりで寂しい場所を通っているときがチャンスだ。

ところがスーキンシアがひとりだけで夜暗く寂しい場所を通ることは一度もなかった。か
れが外出するときは、ゴーホーチャンの社員や押しかけ子分たちがその周囲を取り囲んで
歩く。夜中に出かけるときでも、押しかけ子分たちが何人も付き従うから、まったくチャ
ンスがない。

そうこうしているうちに、タンバッシアがスーキンシアの暗殺命令を出したという噂がス
ーキンシアの耳に入った。スーキンシアが対策を講じたから、殺し屋たちの命令実行はま
すます困難になった。その一方で、タンバッシアの殺人指令の噂はますます世間に広まっ
て行った。[ 続く ]