「ヌサンタラの麺(20)」(2022年08月05日)

インドネシア中央統計庁の経済統計によれば、2021年3月データは国内年間総消費量
132億食で国民一人当たり年間消費量は48食となっている。1食の平均容量は80グ
ラム、一袋を購入する際の平均支出高は2,286ルピア、一人当たり年間の対即席麺支
出総額は109,728ルピアだ。
世界の輸出国ランキングは中国がトップで17.6%、韓国16.8%、タイ8.7%、
インドネシア7.5%。2020年インドネシアからの即席麺輸出総額は2.71億米ド
ル、輸出先国はマレーシア31.4%、オーストラリア9.8%、シンガポール4.7%、
米国4.5%、ティモールレステ4.3%等々。

即席麺のカテゴリーでインドネシア人が愛好するのはミーゴレンだそうだ。インドネシア
製即席麺焼きそばのうまさは世界的な定評がある。中国人は即食麺のミークアあるいはミ
ーゴレンのいずれを愛好しているのだろうか?
インドネシア人がミーゴレンを好むのは、味の問題を無視するわけにいかないもののそれ
とは切り離して、食べる作法と言うかスタイルがミアヤムと共通性を持っている点にも関
係があるのではないだろうか。つまりヌサンタラのひとびとはミアヤムによって培われた
汁無し茹で麺への志向を遺伝子の中に刷り込まれてしまい、その志向が即席麺ミーゴレン
に出会って快適さの中に包まれたからではないかという憶測だ。

即席麺の宇宙では、汁麺と焼きそばという大カテゴリーができあがっている。焼きそばと
いう日本語の定義には「炒める」という言葉が入っていて、調理プロセスの中で麺が油で
炒められるものを指している。ところが即席麺宇宙における「焼きそば」は調理手順の中
に油で炒めるプロセスがない。この「焼きそば」と呼ばれているものは、わたしの定義付
けに従うと汁無し茹で麺に該当する。汁が別椀で供されるミアヤムも、麺自体は汁無し茹
で麺なのである。
油で炒めることをしない汁無し茹で麺にどうして炒め麺という語義の「焼きそば」という
言葉が使われたのだろうか?1963年に世界初の茹で麺焼きそばとしてインスタント袋
麺「日清焼そば」が世の中に登場して以来、日本人は即席麺宇宙の中で「炒めない炒め麺」
という概念の転換を行ったように見える。いやそれは言葉の上での話に過ぎず、現物は縦
にしようが横にしようが汁無し茹で麺でしかなくて、油炒めの雰囲気などさらさら持って
いないのではあるが。

下手をすれば欺言だと言われかねないこの言語上の概念転換はそのまま世界中に浸透して
行ったように感じられる。中国では即席焼きそばが「即食炒麺」と包装に表示されている
し、インドネシアでもご存知の通り「mi goreng」となっている。米国でもStir Fryなど
と書かれているようだから、違いはなさそうだ。ベトナムやインドがどうなっているのか
わたしは知らないが、即席焼きそばの包装にはたして「汁無し茹で麺」と書かれているだ
ろうか?それとも日本語「焼きそば」あるいは中国語「炒麺」の翻訳語が書かれているの
だろうか?
普通なら、炒める調理プロセスが伴われない麺に炒め麺という名を付けることはひとを躊
躇させるのではないかとわたしには思われるのである。だから、「全然炒めないものを焼
きそばと命名するとわが国民は納得しないから、日本語の『焼きそば』をわが国語にその
まま翻訳することはしません。」などと言った国がこれまでひとつもなかったのであるな
ら、理屈屋ばかりが増えて来ているこの人類のランドスケープにおける珍しいエアポケッ
トがこの現象であったことになるのではないだろうか。いや、もっと積極的な言い方をす
るなら、日本の言語文化が生んだ概念転換が全人類の頭脳に影響を及ぼして、そのポイン
トにおいて世界を支配するのに成功した、と言えるにちがいあるまい。これは現物の発明
と同じくらい大きい、形而上面での壮挙だと言って過言ではあるまい。[ 続く ]